残酷な描写あり
新たな旅路の始まり
――あの戦争から、およそ5年の年月が経過した。
大陸全土を震撼させたあの戦争も既に過去のものとなり、その記憶を掘り起こそうとするのは歴史家か、余程の酔狂な人くらいしか残っていない。
しかしそれも仕方がないだろう。
何故なら、あの戦争が終わってすぐに大陸全土は新時代という波に飲み込まれ、人々はその波の中で溺れないよう踠くのに必死だったからだ。
……そしてその波には、私も例外なく飲み込まれた。
そう、この5年間は私にとって人生で初めてと言えるくらいに、本当に忙しい日々の連続だった。それこそ屋敷に引き籠って錬金術の研究に没頭できなかった程だ。
それ程までに忙しくなってしまった原因は、あの『ミーティアの工房』にあった……。
ヨウコウと出会った翌日、ミーティアの工房が貿易都市の運営事業の一つになることが正式に発表された。
これでようやく研究資金の安定確保が出来ると喜んだのも束の間、数日後に私は再びヨウコウに呼び出されてこう告げられた。
「セレスティアさん、商会を立ち上げましょう」
……この神様はいきなり何を言い出すのかと思った。
しかし話を聞くと、どうやらミーティアの工房関連で様々な問題が発生したらしく、しかもその原因はミーティアという商人の存在にあると言うのだ。
流石に無視することが出来なかったので詳しく話を聞くと、貿易都市の運営事業の一つになることが決まったミーティアの工房は、当初の目論み通りにすぐに人々から注目されることになったが、同時にそこに漂うお金の匂いを嗅ぎ付けた鼻の敏感な商人達が大きな利益を求めて殺到してくる結果を生んでしまったそうだ。
しかしミーティアの工房は、その経営実態そのものが秘密の塊のような存在だ。当然貿易都市側は理由を付けて、ミーティアと関係を作ろうとして殺到して来る商人達をはね除けていた。
だけどそれで素直に諦める商人達ではなく、貿易都市側ではなく経営者であり同じ商人であるミーティアと直接話をさせろと、再三に渡って押し掛けてきたのだ。
あまりにも商人達はしつこかったようだが、貿易都市側にも立場があり、流石にこれ以上商人達を無下に扱うことも出来なかった。
なので仕方なくその解決策として、ミーティアの工房と商人達の間を取り持つ商会を立ち上げることにしたらしい。
そしてそれが、私を商会長とした『ミーティア商会』というわけだ。
話を全て聞いた私に、断るなんて言うことは出来なかった……。
こうして始まったミーティア商会は、その秘密性の高さから私の正体を知る身内を中心に構成されることになった。
商会長は当然私として、副商会長をモラン、秘書にはエイミーを選んだ。
そして商会の場所は貿易都市の別荘を使うことにして、全面的な警備を引き続きシモンとチェリーに任せることにした。
しかし、全員がほぼ素人なこのメンバーで、商会の経営なんて出来るわけがない。
そこで貿易都市評議会の面々がその権力を使い、商人組合組合長のゼウェンさんを協力者として無理矢理引き込んで、私達のアドバイザーに抜擢してくれた。
事情を全て聞かされたゼウェンさんは始めこそ混乱して頭を抱えていた、ミーティア商会の成功がどれだけ貿易都市の利益に繋がるかを把握すると、二つ返事で全面的に協力に了承してくれた。
それからゼウェンさんの指示の下にミーティアの工房は事業を拡大して、鍛冶師だけではなく様々な業種の職人を受け入れる総合的な大工房となった。
そして今では、工業区画で働く全ての職人達がミーティアの工房に名を連ねている。
その結果、様々な分野の知識と技術がミーティアの工房内で共有されて融合し、この5年の間に新素材の開発や革新的な新技術があっという間に確立され、画期的な商品が次々に発明されることになった。
このような感じで、ゼウェンさんが協力者となってくれたお陰で、ミーティア商会とミーティアの工房はそれはもう凄まじい早さで急成長した。……正直怖いほどだった。
……まあ、商人組合組合長が協力者になっているのだから、当然と言えば当然だ。むしろこれで成功しない方がおかしいと言うものだろう。
しかしそうなると、ミーティア商会が忙しくなるのは必然だった。
お金の動く量が増えれば増えるほど、それに比例して仕事量が増えていくのだ。
ゼウェンさんやヨウコウ達の助けを借りても尚、私達はそれはもう必死になって増え続けていく仕事に追われていった。
しかし不思議なもので、そんな拷問のような日々を5年も過ごせば、嫌と言う程環境に順応してしまうのが人というものだ。
私もモランもエイミーも、今では立派な一人前になってしまった。それこそ、ゼウェンさんやヨウコウ達の助けがほとんど必要にならなくなるくらいにだ。
特にモランとエイミーは、嫌々やっていた私なんかよりもよっぽど優秀に成長してくれた。むしろ今では私がいる方が邪魔になる程だ。
――そして私は、これを待っていた。
元々私はミーティア商会の会長をずっと続けるつもりなんて無く、頃合いを見てモランとエイミーにミーティア商会を任せるつもりだった。
もちろん、モランとエイミーもこの事は当初から了承済みで、二人はその為に私以上に努力していたのだ。
そしてつい先日、関係各所にミーティア商会会長の座をモランが引き継ぐことを通達し、私はようやく5年間の束縛から解放された……。
こうして私は、肩の荷が下りたような晴れやかな気持ちで、再び錬金術の研究に専念できる生活に戻る事ができたのだ!
それから私は、自室に引き籠った。
この5年間、満足に研究に打ち込める時間を確保できなかった所為で、研究の続きが溜まりに溜まっていた。
その遅れを取り戻すかのように、私は寝食を忘れて研究の続きの片付けと資料整理に没頭した。
そして一通りの研究を片付け終わった翌日、今後の私の予定を伝える為にミューダを私の自室に呼び出した。
「ミューダ、私……旅に出ようと思うの」
「…………数ヶ月ぶりに顔を見せたと思ったら、開口一番で言うことがそれか……」
数ヶ月ぶり……? そんなにも時間が経っていたんだ……。
私の体感では数日くらいだったのに、どうやら私は相当長い時間自室に籠っていたらしい。
まあ、私の自室は地下にあるから、外の景色が見えなくて時間の感覚が曖昧になりやすいから仕方ないと言えば仕方ないのだけど……。
「……で、本当に旅に出るつもりなのか?」
「ええ、そうよ」
ミューダは腕を組んで、何かを考える様に静かに天井を見上げる。
「……言いたいことと聞きたいことは色々あるが、まずどうしていきなり旅に出るなんて言い出したかを聞かせろ」
なんだか呆れたような声をしているが、まあ気にしないでおこう。
「旅に出るのは勿論、『錬金術の研究』を進めるためよ」
「……まあ、セレスティアがそんな突飛な行動をしようとする理由はそれしかないだろうな」
どうやらミューダは私が旅に出て何をするかの察しはついていたらしい。
まあ、ミューダとはそれなりに長い付き合いだ。私の考えていることなんてお見通しなのだろう。
だったらいちいち聞かなくてもいいと思うが、多分ミューダの聞きたい回答は、旅に出ることと錬金術の研究にどんな関係があるかなのだろう。
「……この5年、ミーティア商会で働いて気付いたことがあるの。もしかして私は、まだこの世界の事をよく知らないのかもしれないって」
「ふむ、どうしてそう思った?」
「ミーティア商会には、ミーティアの工房で行われてる様々な事柄の情報が毎日のように届くの。そしてそこには、今までに無かった新しい発想や新しい技術が溢れていたわ」
ミーティアの工房は事業を拡大して、様々な職種の職人を受け入れた。
その結果、今まで出会う事のなかった沢山の知識と技術が融合し、画期的な商品が次々に発明された。
しかし、そうした新しい発想や技術が今までこの世になかったものかと言われればそうではない。既にこの世に存在した知識と技術を組み合わせて、新しいものに昇華させただけに過ぎない。
そう、今まで誰もその事に気が付かなかっただけなのだ。
「私の目指す錬金術の完成系は、この世の理を超越する事。でも、私はまだこの世界の事すら完全に把握しきっていない。世界の事を把握してないのに、世界の理を超越するなんて無理な話だわ」
「なるほど。だから旅に出るという訳か」
「そういうことよ」
まだ知らない世界の事を把握するには、この目で直接確かめて経験するのが一番だ。
今までずっと屋敷の中で引きこもって研究をしていた所為で、こんな簡単な答えに気付くことすら出来なかった。
「しかし、旅に出るのはいいとして、この屋敷の事はどうするつもりだ? 言っておくが、我はこの屋敷から出るつもりはないぞ」
どうやらミューダは私が旅に出ている間、誰が自分の世話をするのかを心配しているようだ。
……時々思うが、ミューダは自分が居候の身であることを忘れているような気がする。
だけどまあ、ミューダの心配は分かる。ミューダは与えられた自室を、長年掛けて魔術の研究をするためだけに最適化させた。そして生活の世話は使用人たちが率先してやってくれるので、研究に集中する事が出来る。
そう易々とこの環境は捨てたくないのだろう。
――だがしかし、そんなミューダの心配は杞憂でしかない。
「心配しないでも大丈夫よ。旅に出ても私はこの屋敷を長く留守にするつもりはないから」
そう言って私は机の上に置いていた一枚のスクロールを取り、ミューダに手渡した。
「こ、これは……セレスティアお前、まさか!?」
受け取ったスクロールを広げたミューダは、そこに描かれた魔法陣を見て私の意図を察し、驚きの声を漏らす。
「そのまさかよ。これがあれば、私はいつでも屋敷に帰れるわ」
「そうだが……しかしお前、旅に出ると言っておきながら、『転移魔術のスクロール』を持って行くのはどうかと思うぞ……」
私がミューダに渡したのは、転移魔術の魔法陣が描かれたスクロールだ。そしてその転移先は、この屋敷の玄関ホールに繋がるようになっている。
つまりこれがあれば、私はいつでも旅先から一瞬で屋敷に帰って来る事が出来るのだ!
更に転移前に、転移先を固定する魔法陣を仕掛けておけば、すぐにまた旅先に戻ることも可能になる。
ミューダは呆れたような表情をしているが、要は初めて貿易都市に行って帰って来た時と全く同じことをしようとしているだけだ。
「でも、これで私が旅に出ても心配はないでしょう?」
「……はぁ~、まあ確かに、いつでも帰って来る事が出来るというなら、我が心配することは無くなる。……それで、我にこれを渡して何をさせるつもりだ?」
流石ミューダだ。本当に私の考えていることはお見通しなのだろう。
「転移魔術のスクロールを大量に用意してほしいわ」
今、私が持っている転移魔術のスクロールは、ミューダに渡した物も含めて二枚だけだ。
スクロールは基本的に使い捨てだ。旅に出るなら十分な数は確保してから旅に出たい。
「分かった、旅に出るまでには用意しておいてやろう」
「ありがとうミューダ」
「礼はいい。その代わり約束してほしい事がある」
「約束?」
「旅先で得たことを必ず我にも共有する事、そして我の研究に役立ちそうな魔術関連の珍しい物を集めて来ること。この2つだ」
……なるほどね。どうやらミューダは私の旅に、自分の研究の進展も組み込もうという魂胆のようだ。実に抜け目のない。
まあでもそれくらいなら、特に大した手間でもないから構わない。
それにもし、それが切っ掛けでミューダの研究に進展があれば、逆にそれを私の研究に活かす事が出来る可能性だってある。切っ掛けなんて、どこに転がっているのか分からないのだから。
それに分野違いでも、お互い研究者として目指している最終目的は一緒だ。
そう、これはお互い利害が一致しているのだ。断る理由が何処にあるだろうか。
「分かった約束するわ。じゃあ、スクロールの件はよろしくね」
「ああ、旅に出るまでに十分な数を用意してやろう」
「期待しているわ」
こうして私とミューダは、まるで商談を成立させた時の様に、固い握手をして約束を交わした。
「我らの研究の進展に!」
「魔術と錬金術の深淵を掴む為に!」
―――― 完 ――――
大陸全土を震撼させたあの戦争も既に過去のものとなり、その記憶を掘り起こそうとするのは歴史家か、余程の酔狂な人くらいしか残っていない。
しかしそれも仕方がないだろう。
何故なら、あの戦争が終わってすぐに大陸全土は新時代という波に飲み込まれ、人々はその波の中で溺れないよう踠くのに必死だったからだ。
……そしてその波には、私も例外なく飲み込まれた。
そう、この5年間は私にとって人生で初めてと言えるくらいに、本当に忙しい日々の連続だった。それこそ屋敷に引き籠って錬金術の研究に没頭できなかった程だ。
それ程までに忙しくなってしまった原因は、あの『ミーティアの工房』にあった……。
ヨウコウと出会った翌日、ミーティアの工房が貿易都市の運営事業の一つになることが正式に発表された。
これでようやく研究資金の安定確保が出来ると喜んだのも束の間、数日後に私は再びヨウコウに呼び出されてこう告げられた。
「セレスティアさん、商会を立ち上げましょう」
……この神様はいきなり何を言い出すのかと思った。
しかし話を聞くと、どうやらミーティアの工房関連で様々な問題が発生したらしく、しかもその原因はミーティアという商人の存在にあると言うのだ。
流石に無視することが出来なかったので詳しく話を聞くと、貿易都市の運営事業の一つになることが決まったミーティアの工房は、当初の目論み通りにすぐに人々から注目されることになったが、同時にそこに漂うお金の匂いを嗅ぎ付けた鼻の敏感な商人達が大きな利益を求めて殺到してくる結果を生んでしまったそうだ。
しかしミーティアの工房は、その経営実態そのものが秘密の塊のような存在だ。当然貿易都市側は理由を付けて、ミーティアと関係を作ろうとして殺到して来る商人達をはね除けていた。
だけどそれで素直に諦める商人達ではなく、貿易都市側ではなく経営者であり同じ商人であるミーティアと直接話をさせろと、再三に渡って押し掛けてきたのだ。
あまりにも商人達はしつこかったようだが、貿易都市側にも立場があり、流石にこれ以上商人達を無下に扱うことも出来なかった。
なので仕方なくその解決策として、ミーティアの工房と商人達の間を取り持つ商会を立ち上げることにしたらしい。
そしてそれが、私を商会長とした『ミーティア商会』というわけだ。
話を全て聞いた私に、断るなんて言うことは出来なかった……。
こうして始まったミーティア商会は、その秘密性の高さから私の正体を知る身内を中心に構成されることになった。
商会長は当然私として、副商会長をモラン、秘書にはエイミーを選んだ。
そして商会の場所は貿易都市の別荘を使うことにして、全面的な警備を引き続きシモンとチェリーに任せることにした。
しかし、全員がほぼ素人なこのメンバーで、商会の経営なんて出来るわけがない。
そこで貿易都市評議会の面々がその権力を使い、商人組合組合長のゼウェンさんを協力者として無理矢理引き込んで、私達のアドバイザーに抜擢してくれた。
事情を全て聞かされたゼウェンさんは始めこそ混乱して頭を抱えていた、ミーティア商会の成功がどれだけ貿易都市の利益に繋がるかを把握すると、二つ返事で全面的に協力に了承してくれた。
それからゼウェンさんの指示の下にミーティアの工房は事業を拡大して、鍛冶師だけではなく様々な業種の職人を受け入れる総合的な大工房となった。
そして今では、工業区画で働く全ての職人達がミーティアの工房に名を連ねている。
その結果、様々な分野の知識と技術がミーティアの工房内で共有されて融合し、この5年の間に新素材の開発や革新的な新技術があっという間に確立され、画期的な商品が次々に発明されることになった。
このような感じで、ゼウェンさんが協力者となってくれたお陰で、ミーティア商会とミーティアの工房はそれはもう凄まじい早さで急成長した。……正直怖いほどだった。
……まあ、商人組合組合長が協力者になっているのだから、当然と言えば当然だ。むしろこれで成功しない方がおかしいと言うものだろう。
しかしそうなると、ミーティア商会が忙しくなるのは必然だった。
お金の動く量が増えれば増えるほど、それに比例して仕事量が増えていくのだ。
ゼウェンさんやヨウコウ達の助けを借りても尚、私達はそれはもう必死になって増え続けていく仕事に追われていった。
しかし不思議なもので、そんな拷問のような日々を5年も過ごせば、嫌と言う程環境に順応してしまうのが人というものだ。
私もモランもエイミーも、今では立派な一人前になってしまった。それこそ、ゼウェンさんやヨウコウ達の助けがほとんど必要にならなくなるくらいにだ。
特にモランとエイミーは、嫌々やっていた私なんかよりもよっぽど優秀に成長してくれた。むしろ今では私がいる方が邪魔になる程だ。
――そして私は、これを待っていた。
元々私はミーティア商会の会長をずっと続けるつもりなんて無く、頃合いを見てモランとエイミーにミーティア商会を任せるつもりだった。
もちろん、モランとエイミーもこの事は当初から了承済みで、二人はその為に私以上に努力していたのだ。
そしてつい先日、関係各所にミーティア商会会長の座をモランが引き継ぐことを通達し、私はようやく5年間の束縛から解放された……。
こうして私は、肩の荷が下りたような晴れやかな気持ちで、再び錬金術の研究に専念できる生活に戻る事ができたのだ!
それから私は、自室に引き籠った。
この5年間、満足に研究に打ち込める時間を確保できなかった所為で、研究の続きが溜まりに溜まっていた。
その遅れを取り戻すかのように、私は寝食を忘れて研究の続きの片付けと資料整理に没頭した。
そして一通りの研究を片付け終わった翌日、今後の私の予定を伝える為にミューダを私の自室に呼び出した。
「ミューダ、私……旅に出ようと思うの」
「…………数ヶ月ぶりに顔を見せたと思ったら、開口一番で言うことがそれか……」
数ヶ月ぶり……? そんなにも時間が経っていたんだ……。
私の体感では数日くらいだったのに、どうやら私は相当長い時間自室に籠っていたらしい。
まあ、私の自室は地下にあるから、外の景色が見えなくて時間の感覚が曖昧になりやすいから仕方ないと言えば仕方ないのだけど……。
「……で、本当に旅に出るつもりなのか?」
「ええ、そうよ」
ミューダは腕を組んで、何かを考える様に静かに天井を見上げる。
「……言いたいことと聞きたいことは色々あるが、まずどうしていきなり旅に出るなんて言い出したかを聞かせろ」
なんだか呆れたような声をしているが、まあ気にしないでおこう。
「旅に出るのは勿論、『錬金術の研究』を進めるためよ」
「……まあ、セレスティアがそんな突飛な行動をしようとする理由はそれしかないだろうな」
どうやらミューダは私が旅に出て何をするかの察しはついていたらしい。
まあ、ミューダとはそれなりに長い付き合いだ。私の考えていることなんてお見通しなのだろう。
だったらいちいち聞かなくてもいいと思うが、多分ミューダの聞きたい回答は、旅に出ることと錬金術の研究にどんな関係があるかなのだろう。
「……この5年、ミーティア商会で働いて気付いたことがあるの。もしかして私は、まだこの世界の事をよく知らないのかもしれないって」
「ふむ、どうしてそう思った?」
「ミーティア商会には、ミーティアの工房で行われてる様々な事柄の情報が毎日のように届くの。そしてそこには、今までに無かった新しい発想や新しい技術が溢れていたわ」
ミーティアの工房は事業を拡大して、様々な職種の職人を受け入れた。
その結果、今まで出会う事のなかった沢山の知識と技術が融合し、画期的な商品が次々に発明された。
しかし、そうした新しい発想や技術が今までこの世になかったものかと言われればそうではない。既にこの世に存在した知識と技術を組み合わせて、新しいものに昇華させただけに過ぎない。
そう、今まで誰もその事に気が付かなかっただけなのだ。
「私の目指す錬金術の完成系は、この世の理を超越する事。でも、私はまだこの世界の事すら完全に把握しきっていない。世界の事を把握してないのに、世界の理を超越するなんて無理な話だわ」
「なるほど。だから旅に出るという訳か」
「そういうことよ」
まだ知らない世界の事を把握するには、この目で直接確かめて経験するのが一番だ。
今までずっと屋敷の中で引きこもって研究をしていた所為で、こんな簡単な答えに気付くことすら出来なかった。
「しかし、旅に出るのはいいとして、この屋敷の事はどうするつもりだ? 言っておくが、我はこの屋敷から出るつもりはないぞ」
どうやらミューダは私が旅に出ている間、誰が自分の世話をするのかを心配しているようだ。
……時々思うが、ミューダは自分が居候の身であることを忘れているような気がする。
だけどまあ、ミューダの心配は分かる。ミューダは与えられた自室を、長年掛けて魔術の研究をするためだけに最適化させた。そして生活の世話は使用人たちが率先してやってくれるので、研究に集中する事が出来る。
そう易々とこの環境は捨てたくないのだろう。
――だがしかし、そんなミューダの心配は杞憂でしかない。
「心配しないでも大丈夫よ。旅に出ても私はこの屋敷を長く留守にするつもりはないから」
そう言って私は机の上に置いていた一枚のスクロールを取り、ミューダに手渡した。
「こ、これは……セレスティアお前、まさか!?」
受け取ったスクロールを広げたミューダは、そこに描かれた魔法陣を見て私の意図を察し、驚きの声を漏らす。
「そのまさかよ。これがあれば、私はいつでも屋敷に帰れるわ」
「そうだが……しかしお前、旅に出ると言っておきながら、『転移魔術のスクロール』を持って行くのはどうかと思うぞ……」
私がミューダに渡したのは、転移魔術の魔法陣が描かれたスクロールだ。そしてその転移先は、この屋敷の玄関ホールに繋がるようになっている。
つまりこれがあれば、私はいつでも旅先から一瞬で屋敷に帰って来る事が出来るのだ!
更に転移前に、転移先を固定する魔法陣を仕掛けておけば、すぐにまた旅先に戻ることも可能になる。
ミューダは呆れたような表情をしているが、要は初めて貿易都市に行って帰って来た時と全く同じことをしようとしているだけだ。
「でも、これで私が旅に出ても心配はないでしょう?」
「……はぁ~、まあ確かに、いつでも帰って来る事が出来るというなら、我が心配することは無くなる。……それで、我にこれを渡して何をさせるつもりだ?」
流石ミューダだ。本当に私の考えていることはお見通しなのだろう。
「転移魔術のスクロールを大量に用意してほしいわ」
今、私が持っている転移魔術のスクロールは、ミューダに渡した物も含めて二枚だけだ。
スクロールは基本的に使い捨てだ。旅に出るなら十分な数は確保してから旅に出たい。
「分かった、旅に出るまでには用意しておいてやろう」
「ありがとうミューダ」
「礼はいい。その代わり約束してほしい事がある」
「約束?」
「旅先で得たことを必ず我にも共有する事、そして我の研究に役立ちそうな魔術関連の珍しい物を集めて来ること。この2つだ」
……なるほどね。どうやらミューダは私の旅に、自分の研究の進展も組み込もうという魂胆のようだ。実に抜け目のない。
まあでもそれくらいなら、特に大した手間でもないから構わない。
それにもし、それが切っ掛けでミューダの研究に進展があれば、逆にそれを私の研究に活かす事が出来る可能性だってある。切っ掛けなんて、どこに転がっているのか分からないのだから。
それに分野違いでも、お互い研究者として目指している最終目的は一緒だ。
そう、これはお互い利害が一致しているのだ。断る理由が何処にあるだろうか。
「分かった約束するわ。じゃあ、スクロールの件はよろしくね」
「ああ、旅に出るまでに十分な数を用意してやろう」
「期待しているわ」
こうして私とミューダは、まるで商談を成立させた時の様に、固い握手をして約束を交わした。
「我らの研究の進展に!」
「魔術と錬金術の深淵を掴む為に!」
―――― 完 ――――