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作者: こむらまこと
2-3. ヘンリー・ブラウン
2-3. ヘンリー・ブラウン
 山下公園は、横浜で最も有名な公園である。
 関東大震災の復興事業の一環として、瓦礫の埋め立てによって造成されたという来歴を持つこの臨海公園には、今日では小さな庭園や見晴らしの良い遊歩道、おしゃれなカフェなどが整備され、人間はもちろんのこと、小さな生き物や妖、精霊たちにも憩いの場として広く親しまれている。
 横浜海上防災基地から早足で移動すること約10分、明と水晶は、山下公園の東端に位置するインド水塔の付近に到着していた。
「誰かいるぞ」
 インド水塔の横に外国人と見られる男の姿を認めた明は、少し離れた物陰から男の様子を伺うことにする。
「……あの男性、完全に怪異化してます」
 水晶が、男を注視したまま明に耳打ちをしてきた。
「私が小さな妖たちから聞いていた特徴とも一致していますし、あれが〈両替屋〉のヘンリーだと思います」
「よし。頃合いを見計らって声をかけてみよう」
 明は水晶に小声で返すと、物陰から男に目を凝らし、県警からの提供資料に記載されていた情報と可能な限り照合してみようとする。
(とは言っても、県警の資料には概要しか書かれていなかったからな。相手は元人間だし、外部に出せない機密情報とかもあるのかもしれないけど)
 県警の資料によると、男の名前はヘンリー・ブラウン。出身地、年齢、共に不明。欧米系と見られる顔立ちをしているが、身長は175cm前後と、欧米系の男性としてはやや小柄な体格をしている。また、ヘンリーは横浜きっての情報通であり、資料の備考欄には「海異対の存在を把握している可能性が高い」との注釈が付けられていた。
(ただ、肝心の怪異としての特徴が、資料には書かれてなかったんだよな。俺らに教えたくないのか、県警も把握できていないのかは分からないけど。どの道、警戒は必要だ)
 明は、山下公園に向かう道すがらに交わした、カナとの思念伝達の内容を思い返した。
『ふむ、もう手がかりが見つかったのか。意外と有能なんじゃのう』
 試しに頭の中で話しかけてみたところ、カナから反応があったため、明はこれまでの経過をごく簡単に伝えていた。
『手がかりと接触しても構わぬかじゃと? そんなもん、言うまでもなくYESじゃ。というか、わしはお前さんらに全て任せておるから、いちいち判断を仰いでこなくて良いぞ。というわけで、わしはもう寝るからな、期待してるぞ――』
 いまいち捉えどころのない人魚による全面的な信頼、というより丸投げに戸惑いを感じないわけではなかったが、明としては、調査対象との接触は大いに望むところであるため、カナからの「信頼」には全力で応える所存である。
「我が主よ、誰か来ました」
「そうだな、もう少し様子を見よう」
 物陰から出ようとしたところで、小さな子供2人とおぼしき影が男に近づくのが見えたため、引き続き物陰にて様子を伺うことにする。
「あっ、あの子たち……」
 水晶が、小さく声を声を上げた。
 明が、男たちに顔を向けたまま水晶に訊ねる。
「知ってるのか?」
「はい。いつも、公園の前の海で泳いでいる人魚の子たちです」
 水晶が、明に囁き返した。
「人間の姿に変化ができるというのは聞いていましたが、実際に見るのは私も初めてです」
 水晶が説明している間にも、子供の姿に変化した人魚たちと男は二言三言、言葉を交わし、何かを交換し始める。
「……ひょっとして、『両替』をしてるのかな」
「はい、そうだと思います」
 人魚たちの手に何かキラキラした物が握られているのを見て、水晶が首肯した。
「たまに人間の食べ物が欲しくなった時に、あんな風に『両替』してもらって、そのお金でお買い物をするんだって、そう聞かせてもらった事があります」
「なるほど。だから、〈両替屋〉というわけか」
 明は得心した。〈両替屋〉という独特の呼称はともかくとして、宝石や薬草などの希少性のある品と引き換えに人間の通貨を得ようとする妖は別に珍しい存在ではなく、横浜以外の地域でも普通に聞く話である。
「この辺りの海で集められる珍しい物というと、貝殻とかシーグラスくらいしか思いつかないけど」
「お菓子やジュースを少し買うだけだから沢山集める必要はないし、ヘンリーもお菓子を買えるだけのお金を過不足なく渡してくれるそうです」
「少なくとも、小さな妖を体良く働かせて稼ぎを得るみたいなセコい真似はしてないみたいだな」
 とはいえ、それだけの情報ではヘンリーという男の人柄を判断する事はできない。
「よし、行こう」
 明は、小さな人魚たちが最寄りのコンビニがある方向へ走り去るのを見届けると、水晶と共に物陰から出た。
 散歩をする時のような自然な足取りでインド水塔に近づくと、膝を着いてバッグの中身を探っている男の前方で足を止める。
「ヘンリー・ブラウンか?」
 明の声かけに、男がバッグを探る手を止めた。
 男はゆっくりと顔を上げると、最初に明の顔を見て、それから水晶に視線を移す。
 (県警の資料には、山下公園には大道芸人として出入りしているって書いてあったけど、その通りだったな)
 男の注意が水晶に逸れている隙に、明は男が探っていたバッグに視線を走らせ、ディアボロやステッキなどの大道芸の道具が入っている事を確認する。
(これだけの道具を持っているということは、決まった住処があるのかもしれないな)
 そんな発想が頭に浮かんだものの、男が明に視線を戻したため、即座に余計な思考を意識の外に追いやる。
 男がひと言も発さないため、明は先程と同様の質問を繰り返した。
「ヘンリー・ブラウンだよな? 聞きたい事があるんだけど」
「海のおまわりさんが、俺に何の用だよ?」
 男――ヘンリー・ブラウンが、いかにも面倒臭そうに聞き返してきた。
「ふああ……」
 わざとらしく欠伸をかましてみせると、癖のあるダークブロンドの短髪をワシャワシャと掻き乱す。
「この後、女と会う予定があるんだけどさ」
「いや、用があるのはカササギの方だ」
「…………」
 ヘンリーが、癖のあるダークブロンドから手を離した。
 何かを察知したのか、水晶があどけない少女の顔に警戒の色を滲ませる。
「よっこいせっと」
 ヘンリーはのっそりと立ち上がると、やっとのことで明の顔を正面から見た。
「……あいつは、生憎とこの街にはいないんだ」
 秋の薄い陽光の中、灰色がかった青色の瞳が、この世ならざる光をチラチラと反射する。
「用件なら俺が聞いておくから、あいつがこの街に戻ってきたら伝えておいてやるよ」
「いや、カササギと直接話がしたいんだ。どのくらいでこの街に戻ってくるかは分かるか?」
「あー……」
 ヘンリーが、頬を掻きながら間の抜けた声を出した。
 誰かを探してでもいるようにキョロキョロと辺りを見回しながら、気のない声で明に確認する。
「つまり、俺には話せない用件ってことか?」
「そうだな。申し訳無いけど」 
「うーん、そうか」
 ヘンリーが、相変わらずポリポリと頬を掻きながら、今度は晴れ渡った秋の空を仰ぎ見た。
 その白とも黒ともつかない、煮え切らない態度に、水晶が焦れったそうに身じろぎをする。しかし、生来の気質として気が長い明は、辛抱強くヘンリーの返事を待つ。
 やがて、ヘンリーが大儀そうに身を屈めた。
「……仕方ねえな」
 バッグの中からくたびれたオーバーコートを引っ張り出して袖を通すと、大道芸の道具が詰め込まれたバッグを肩にかけて明を振り返る。
「来い。案内してやる」
 ぶっきらぼうな口調でそう言うと、返事を待たずに歩き出した。
「行こう」
「ええ、我が主よ」
 明と水晶は素早く視線を交わすと、迷わずヘンリーの後に続いたのだった。
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