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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
黄昏の言伝
 一生に一度の、恋をしよう――。





 そのとき私は、たった五つの子供だった。

 そんな子供の将来を、伯母様は真剣に憂えていた。



「〈神の御子〉は、今なお、神への『供物』なのよ。――特に、女は悲惨……」

 私と同じく『〈神の御子〉の女性』だった伯母様は、降嫁した婚家で、〈神の御子〉を産むよう強要されたという。伯母様が〈神の御子〉を産めば、その子は王位継承権を持ち、婚家は外戚として権勢を誇れるからだ。

「アイリー。あなたには、あんな辛い思いをしてほしくないの」

 伯母様は私を抱きしめ、涙ぐむ。

 窓から差し込む黄昏の光で、白を基調とした神殿の部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私たちの肌も、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。

 自分とそっくりな容姿を持つ伯母様のことを、私は子供のころ、お母様だと信じていた。

 何故なら、この国の民は、ほとんどが黒髪黒目で、お父様と伯母様、そして私だけが異色だったのだから。幼い私が、このふたりを両親だと思い込むのは自然なことだろう。

 伯母様もまた、私を実の娘のように可愛がり、同時に案じていた。

 それは、私が伯母様と同じような目に遭っては可哀想だ、という思いから……というのは表向きで、本当は、ヤンイェンお異母兄にい様を〈神の御子〉として産むことができなかったことに対する罪悪感――なのだと、なんとなく気づいてしまった。

 私がいずれ、女王として立つのは、伯母様のせいではないのに。

 体の弱かった伯母様は、ご自分の余命が短いことを知っていたのだろう。

 だから、私がまだ小さいころから、私とヤンイェンお異母兄にい様との婚約を成立させようと、躍起になっていた。事情を理解しているお異母兄にい様なら、決して、私を不幸にすまいと考えたのだ。

 そもそも、伯母様が働きかけなくとも、私が生まれたときから、ヤンイェンお異母兄にい様は、私の婚約者に内定していたようなものだ。歳が離れすぎていることを理由に反対する勢力はあるものの、血統的には、お異母兄にい様がもっとも『女王の夫』にふさわしいからだ。

「……ごめんね」

 伯母様の涙が、黄昏色に染まる。

「あなたは、恋を知らずに生きることになるわ」

 そう呟いた伯母様は、果たして、恋というものを知っていたのだろうか。





 伯母様の優しさは、歪んでいたと思う。

 悪意のない、純粋な気持ちであったことに間違いはない。元王女として、『〈神の御子〉』に振り回される王族フェイラたちが少しでも幸せになれるよう、心の底から願い、奔走していたことは紛れもない事実だ。

 けれど、ヤンイェンお異母兄にい様が、私を守るためだけに存在するような、空っぽの人になってしまったのは、やはり伯母様のせいだと言わざるを得ない。

 私も、お異母兄にい様も、一生、恋とは縁がないだろう。

 そう思っていた。

 セレイエと出会うまでは。





「アイリー、脱走お忍びするわよ!」

 ある日、『神に祈りを捧げる』という『公務』で、神殿に行くと、黒髪のウィッグと、黒目のカラーコンタクトを手にしたセレイエが、意気揚々と現れた。

「ヤンイェンから聞いたわ。あなた、まともに外を歩いたことがないんですってね。そんなの、もったいないわ」

 私は、そのとき、七歳になっていたと思う。世間知らずの箱入り娘ではあったが、それでも、上流階級の令息、令嬢たちが、身分を隠して、こっそり街中で遊んでいることくらい知っていた。

『社会勉強』と称して、親が外に出してくれることもあるようだけど、たいていは内緒の冒険だ。だからこそ、面白い――らしい、とも。

 けれど、私は〈神の御子〉だ。この外見すがたでは、ひと目で素性がばれてしまう。だから、お忍びなんて考えたこともなかった。

 ……ああ、でも。

 セレイエが変装の道具を用意してくれている……。

 駄目、と思っても、私の瞳はセレイエの手元に釘付けだった。心臓が、どきどきと高鳴り、飛び出してしまいそうになる。

「私に任せて! 凄く可愛くしてあげるから!」

 ウィッグの黒髪をさらりと撫で、セレイエは自信たっぷりに口角を上げた。そして、強引に、私を化粧台ドレッサーの前へと連れて行く。

「ま、待って!」

 誘惑を振り切らなくちゃと、私は声を張り上げた。

「セレイエの気持ちは嬉しいけど、私は世継ぎの王女なの。私に何かがあったら……。ううん、お忍びがばれてしまうだけでも、セレイエは、ただでは済まないわ」

 いくら私が子供でも、王宮で時々、耳にする『ただでは済まない』が『死』を意味することくらい理解していた。

 ……なのに。

 セレイエは、脅える私をふふん、と鼻で笑った。

「何を言っているの? 私は無敵よ」

 つやめく美声と共に、セレイエは背中から白金の光を放つ。幾つもの光の糸が絡み合い、繋がり合い、優美に波打つ白金の羽を紡ぎ出す。

「――――っ」

〈天使〉のセレイエ。

 何度見ても、溜め息が出るほど綺麗だ。

 もともと、目を奪われるような美人のセレイエだけど、〈天使〉の姿になると、神々しいまでの美しさになる。私の〈神の御子〉の容姿なんかより、ずっとずっと神聖を帯びていて……。

「どんな屈強な猛者でも、私の組み上げる命令コードには抗えないわ。王女だって気づかれたところで、記憶を消せばいいだけよ」

 荒唐無稽に聞こえるけれど、セレイエの言うことは真実だ。

 何故なら、〈天使〉とは、人間の脳という記憶装置に侵入クラッキングする、クラッカーなのだから。

 セレイエに見惚みとれていた私は、そこで、はっと我に返る。

「で、でも……!」

 羽を使うと、体に負担が掛かるって、ヤンイェンお異母兄にい様がおっしゃっていたのだ。だから、〈天使〉の力を護衛代わりにしたら駄目だ。セレイエが熱暴走を起こしてしまうなんて、考えたくもない。

 私は白金の眉を下げ、困りきった顔で、セレイエを見つめる。

 嬉しいけれど、駄目。どう言えば、私の気持ちを分かってもらえるだろうか。

 思いを伝える言葉を探している間に、セレイエは、私を無理やり化粧椅子ドレッサーチェアに座らせた。

「セ、セレイエ! 私は今、公務中で……」

「細かいことは気にしないの! だいたい、あなたみたいな子供が『公務』なんて、笑っちゃうわ!」

 その台詞の通り、セレイエは覇気にあふれた高笑いを上げながら、ぴしゃりと言い捨てる。

「私がアイリーと出掛けたいから、準備をしているの。邪魔をしないで」

「…………」

 セレイエは強引で、自信家で、我儘で、破天荒。――そして、優しい。

 今まで、私の周りには、こんなふうに接してくれる人は、ひとりもいなかった。

 私は、未来の女王なのだ。――誰もが、そういう目で見る。それが普通だ。

 けれど、お異母兄にい様と恋仲になったセレイエは、『ヤンイェンの異母妹いもうとなら、私の義妹いもうとってことでしょう?』と言って、私を『妹』として扱う。

 私には、たくさんの兄と姉と、異母兄と異母姉がいるけれど、皆、〈神の御子〉である私は『』ではなくて、異質な『もの』だと思っている。玉座に座るためだけに存在する、異色のお人形だと――異母姉のひとりに、面と向かって、そう言われたこともある。

 例外はカイウォルお兄様とヤンイェンお異母兄にい様だけだ。だから、兄弟姉妹きょうだいなんて、そんなものだと思っていた。

 けど、セレイエによると、兄弟姉妹きょうだいとは、もっと仲の良いものらしい。

 実際、セレイエの口から語られる兄弟の話は、宝物のようにきらきらしていた。私は夢中になって聞き、もっともっとと、彼らの逸話をせがんだ。

 その中でも、私は異母弟おとうとの『リュイセン』の話が好きだった。どこか私と似た境遇の彼が、卑屈になることなく、真面目に、こつこつと努力を続ける姿を格好いいと思った。

 ――それは、さておき。

 私は、こうして、義姉あねセレイエに脱走お忍びを教えてもらった。





 セレイエと『姉妹』として過ごしていくうちに、私の世界は、どんどん広がっていった。

 私は、ヤンイェンお異母兄にい様のことを空っぽだと思っていたけれど、自分もまた、空っぽだったのだと気づかされた。

 だから、私はセレイエの義妹いもうとにふさわしく、ちょっとだけ図々しく、大胆になった。





『未来の女王の事実上の婚約者である、王族フェイラの血統の神官長』と、『凶賊ダリジィンの血を引く、平民バイスアの神官』の恋は、世間的には『身分違いの禁断の恋』だ。

 当然、ふたりの関係は、公にはできなかった。

 ――罪、だからだ。

「それでいいの?」

 私は白金の眉を寄せ、セレイエに尋ねた。

「そうね、私とヤンイェンは『共犯者』みたいなものかしら?」

 セレイエは、とても綺麗な笑顔で、はぐらかした。

 お異母兄にい様からの贈り物のペンダントに、そっと手を触れながら……。





 そして、ライシェンが生まれた。





『身分違いの禁断の恋』から生まれたライシェンは、国を挙げて誕生を祝福されるべき〈神の御子〉であったにも関わらず、ひとまず存在を隠された。

 事情を知る者は、王宮の中でも、ごく一部の人間のみ。国の中枢に位置する彼らは、口をそろえて、セレイエを『神官長をたぶらかした悪女』と罵った。

 けれど、国王お父様が、鶴の一声でセレイエとライシェンを守った。

『ライシェンこそが、私の次の王となるべき者である』――と。

 神殿で生まれたライシェンを迎えに行き、王宮に連れてきたのは、他ならぬ、お父様だった。平民バイスアを生母に持つ〈神の御子〉は風当たりが強いだろうと、拒むお異母兄にい様とセレイエを、国王が頭を下げて説得したのだ。

『こんなに愛されて生まれた子なら、きっと良い王になるだろう』と、言って。

『親』から愛されなかった、『過去の王のクローン』である、お父様は、ライシェンのことを尊いものだと褒め称え、セレイエに感謝を述べた。

 ライシェンが、ただの〈神の御子〉ではなく、〈天使〉の力も受け継いでいるらしいことは、早いうちから、セレイエが感づいていた。だから、お父様は『まるで、私たちのもとに神が降りてきてくれたみたいだ』と驚き、『来神ライシェン』という名前を贈ったのだ。

 ライシェンは、希望だった。

 彼の誕生は、私の『恋も知らずに、女王となる』運命をも変える。

 恋を知らない私のために、恋を知ったお異母兄にい様と、恋を教えてくれたセレイエの間に、ライシェンは生まれてきてくれたのだ。

 国を挙げての祝福はなくとも、ライシェンの周りには、確かな祝福があった。





 それが――。

 いったい、どこで、運命の歯車が狂ったのだろう。





 ライシェンが、羽も出さずに、〈天使〉の力で、人を殺した。

〈天使〉を知らない人々には、何が起きたのか分からなかっただろう。けれど、ライシェンが犯人であることは、状況から明らかだった。

 神聖なる王族フェイラの血に、穢れた平民バイスアの血が混ざったから化け物が生まれたのだと、声高に叫ばれた。

 国王お父様は、その言葉を否定した。

 けれど、被害は広まるばかり。そして、すっかり恐怖に支配されてしまったライシェンは、ますます、自分の身を守ることに固執した。

 だから……。

 国王お父様が、ライシェンを殺した。

 他人の脳から『情報を読み取る』能力を持ったライシェンは、殺意を持った人間を決して見逃さないから。

 例外は、同じ能力を持ち、互いの能力を打ち消し合う、国王お父様だけだったから……。





 ライシェンを亡くした、お異母兄にい様とセレイエは、『〈七つの大罪〉の禁忌』に魅入られた。

 死者の蘇生だ。

 そんなのはおかしいと、私は、きっぱり言うことはできなかった。……ふたりの思いが辛すぎて、言えなかった。

 そして、狂った歯車は、止まることなく廻り続ける。





 ヤンイェンお異母兄にい様が、国王お父様を殺した。

 その瞬間、私は女王になった。





 それから、四年の月日が過ぎた。

 私は、もうすぐ十五歳になる。

 年齢的に頃合いだろうと、ヤンイェンお異母兄にい様との婚約が、正式に発表されることになり、準備が始まった。――お異母兄にい様は、病気療養という名の幽閉状態であるというのに。

 何かが、おかしかった。

 罪人つみびととなった、お異母兄にい様は、一生、幽閉されたまま。二度と、表に出られないはずだったのだから。





 私の中に、私の知らない記憶がある。

 それは、四年前、私が女王になって少し経った日の、黄昏の神殿。

 窓から差し込む光で、白を基調とした部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私の肌が、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。

「アイリー。私とヤンイェンは『共犯者』なの」

 唐突に聞こえた声に、私は驚いて後ろを振り返った。

 そこに、行方不明になっていたセレイエがいた。目鼻立ちのはっきりとした顔は、逆光の中でも美しく、けれど、だいぶ痩せたみたいな気がした。

「共犯者とは、罪を分かち合う者。ヤンイェンの罪は、私の罪よ」

 お異母兄にい様からの贈り物のペンダントを握りしめ、彼女は、静かに微笑む。

「セレイエ……! 今まで、どこにいたの!?」

 駆け寄る私に、彼女は何も答えなかった。ただ、歌うように続ける。

「犯した罪の裏側には、何を犠牲にしてでも叶えたい、強い願いがあるの」

 穏やかなのに、力強い声だった。

 覇気にあふれた眼差しは相変わらずで、我儘な自信家の表情かおだ。

「私は後悔してないわ。ヤンイェンと出逢ったことも、ヤンイェンを愛したことも」

「セレイエ!?」

 私は、すがるように彼女の名を叫んだ。何故だか分からないけれど、とても不吉な予感がしたのだ。

「アイリー。誰かと出逢って、恋に落ちる。それは、とても素敵なことよ。……あなたを女王にしてしまった罪人私たちには、言う資格はないかもしれないけれど――」

 セレイエの手が、すっと私へと伸びた。白金の髪に触れ、くしゃりと撫でる。



「どうか、あなたに。運命の恋人が現れますように」



 慈愛に満ちた祈りが、私を包む。

 刹那。

 セレイエの背中から、光が噴き出した。

 無数の細い光の糸が、白金に輝きながら勢いよくあふれ出る。互いに絡み合い、繋がり合い、網の目のように広がっていく。

〈天使〉の羽だ。

 煌めく光をまとったセレイエは、溜め息が出るほどに、綺麗――。

 ゆらり、ゆらりと。

 白金の羽が、優美に波打つ。緩やかに伸びてきた光の糸が、そっと私に触れる。

 そして、糸の内部を、ひときわ強い光が駆け抜けた。

「私の義妹いもうとに、さちあれ……」

 小さな呟きを残し、セレイエは〈冥王プルート〉の収められた『光明の間』へと姿を消した。





 これは、おそらく、封じられた記憶。

 セレイエが〈天使〉の力で、私の中の深いところに沈めたもの。

 彼女は、ライシェンの記憶を集めに〈冥王プルート〉へと向かう直前、私に会いに来てくれたのだ。

 一生に一度の、お異母兄にい様との恋に後悔はなかったと、私に告げるために。

 そして。

 私に伝えるために。



 あなたにも、恋をしてほしい――と。

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