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作者: 犬物語
青い空、広い海
雨降って地固まって、そしたらあとは天晴よ
「おっはよー!」

 目覚めのお告げ。土に囲われた新居で毎朝のように聞いていた耳やかましい声が、今は心地よいアラームに聞こえる。

 よく知るルームメイトの声。わたくしは開こうとしない目に気合いを入れました。

「おはようグレース。相変わらず元気ですわね」
「えっへへ」
「あっ、ちょっと」

 目覚めの産声を告げた元気な子が、こんどは寝袋越しにわたしの身体へのしかかってきました。

「起きれませんわ」
「んーもうちょっとだけー」
「まったくこの子は」

 しばらく、わがままな子どもに付き合ってあげる。
 グレースは淡い茶色の髪をこすりつけ寝袋の香りを肺いっぱいに吸い込んでる。

「んーあんずちゃんの匂いだー」
「植物の匂いしかしないでしょ」

 少女のボブカットをなで、グレースはこそばゆそうに身体を揺らした。さらさらした感触をもう少し味わっていたかったのですが、それでは目覚まし時計の意味がなくなってしまいます。

「さ、どいてくださいな」

 なおも粘る親友を引き剥がしつつ、わたくしは傍らの上着へ手を伸ばしました。

 次の日の朝は、冗談のような快晴でした。
 まばゆい光。これから暑い季節になるそうで、夜の間も薄着のまま寝床につけた。それでも朝はまだ冷え込んでいて、寝袋から出た瞬間肌にひんやりとした感触を味わう。

 わたくしは外の景色を一望しました。
 桟橋が掛けられた川に霧が立ち込め、夜間より落ち着いた炎が小さな光を放っている。それも太陽のそれと比べささやかなものとなり、あたりの植物には雨によらない雫が滴っていた。

「起きたか」

 ブーラーさんはグレースといい勝負の早起きです。すでに丸太に腰掛け串に刺した魚を焼いていました。本数からしてひとり一本なのでしょう。

「始発便はもう少し先だって」

 続けてドロシーさんが、キャンプ内で最も大きなテントから戻って来ました。おそらく、そこにいる仕事人から話を聞いてきたのでしょう。

 今はとんがり帽子なく、かわいくてまっくろな頭を晒しています。グレースより短くまとめ、ややウェーブがかった髪の毛。理屈はわかりませんが、彼女は魔法を行使すると威力相応に髪が伸び、種類によって色も変化するそうです。

 不思議ですわね。

「待っていろ、もう少しで出来上がる」

 肌黒い僧侶さんが腹ごしらえの準備を整えてるとき、不意に後ろから緊張した声が響いた。

「みんなごめん!」

 声の主はグレースだった。皆が彼女に目を向け、グレースは恥ずかしそうに下げた両手を合わせ、あちこちに視線を移していく。

「わたし、いろいろおかしかったよね! ドラゴンのことがあってぇ、いろいろ考えてわからなくなっちゃってたんだ。だぁだけど! 今日からはちゃんとにゅーふれっしゅアサシングレースちゃんに大変身しましたので今後ともよろしくおねがいします!」

「っぷ、なんですのそれ」

 わたくしは失笑してしまいました。

「ガーン! ひどいよあんずちゃん!」
「ひどいも何も、わたくしは昨夜にすべて打ち明けましたのよ? それに、グレースのことはちゃんとわかってますわよ。ねえみなさん?」

 子どもが肩をすくめた。

「やっと頭のネジ締め直したようね。もともとぶっ壊れてるけどいくらかマシよ」
「ドロちんひと言多くない!?」
「照れ隠しだ。ドロシーが素直になれぬのは今始まったことではないだろう」
「ちょっとブーラー!」
「あれほどの経験をしたのだ。正直言えば、拙者も精神を見出し再統一に多くの時間を割いた……お主もだろう?」
「……」
「ねぎらいの言葉ひとつくらいかけてやっても良かろう?」

 黙り込むドロシーさん。それからちょっぴり言いにくそうに、とうより大いにイヤがって。ようやく口から出てきたのは、やっぱりドロシーさんらしいヒネた表現でした。

「ウチは魔法使いだから、詠唱に集中したいのよ。だからアンタのこと頼りにしてるわ」
「ドロちん」
(あらまあ)

 グレースが感動してる。普段ツンツンしてる娘がデレると強いんですのね。

「ありがとドロちん!」
「だから、そのドロちんってのやめなさいよ」
「ちん!」
「ふざけてんのかテメェ!?」
「わーい!」

 ドロシーさんが狂犬モードに変貌。そのまま焚き火の周りを追いかけっこしはじめました。

「朝からまったくもう」

 わたくしだけでなく、みなさんもグレースの変化に気づいてらしたのですね。
 でも、それは当然のこと。

(みんな貴方のオトモダチですもの)
「ほら、少し落ち着いてくださいな」

 魚の香ばしさに包まれて、わたくしは鬼ごっこをするふたりに混ざった。





「にゃほーい!」

 うーみだー!

「いきなりなんですの?」

 我がベストあるてぃめっとエボリューションえたーなるフレンドが呆れ顔。そんな表情もかわいいね!

「調子に乗ったらすぐこれだもの。イヤになるわ」
「そー言わずにお付き合いくださいな!」
「こらっ!」

 抱きつく。
 すりすり。
 もふもふ、じゃない。

「んードロちん変身トランスファーしてくんない?」
「なんでよ」
「あの手触りをもっと、後生ですからちょっとだけ」
「だまれ」
「あう」

 拒否の手によって引き剥がされる。仕方なしに、わたしは現在渡航中の海へと視線を向けた。

「んーしょっぱい!」
「匂いがですわね」

 鼻にスンと染み入る香り。ぺろりとひと舐めしたいけど、残念ながらここは船の甲板なのだ。

「気持ちいですわね」
「ほんとほんと。わー見てあれ! お魚さんが跳ねてるよ!」

 真っ青なお空に真っ青な地面。そんな世界にぽつりと白い船があって、こうやって海を渡る揺りかごに揺られている。

 柔らかな風を感じつつ、下ではいろいろな大きさの魚が命の螺旋を描いてる。同じように水面を眺めていた子どもと目が合い、わたしは目一杯の笑顔で手を振った。

 この海を越えれば新しい街につく。
 新しい出会いと新しい食べ物が待ってる。
 そう考えただけでお腹が、じゃなくて胸がいっぱいになる。

「ねえねえ、テトヴォは牛肉がおいしいんだって! 楽しみだね!」
「グレース、あまり食べ過ぎるとまた太りますわよ?」
「そんなことないもーん。およ?」

 ふと船内に目を向けた。
 何か騒がしい。
 何かおかしな雰囲気が。強いて言うなら、わたしとあんずちゃんが出会ったあの時とおなじ雰囲気が船内から立ち込めている。

(けど戦いじゃない)

「中が騒がしいですわね」

 あんずちゃんもそれに気づいたようだ。風にたなびく金色の髪を押さえ、神妙な顔でその方向を見ている。

 ふと、誰かが扉を開けて外に飛び出した。
 うろたえ、慌てた様子。衣服からして上船員なのだろう。それからあたりを見回してこう叫んだ。

「どなたか、ここにお医者さまはいらっしゃいませんか!」
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