残酷な描写あり
4.白蓮の花の咲く音色-1
「嘘……」
『仕立て屋の助手の少女』の正体がルイフォンだと知らされ、アイリーは呆然と呟いた。
「……すまん。本当だ」
あまりの居たたまれなさに、リュイセンの口から思わず謝罪の言葉が衝いて出る。
「あっ、違うのよ。信じていないわけじゃなくて。――あ、あのね。あの子が、鷹刀の血族だというのは分かったのよ」
動揺のためか、アイリーは慌てて弁解を始める。
「セレイエとは目元や髪質が違うけど、顔全体の雰囲気がよく似ているから、きっと親戚の子なのね、って思ったわ。すらっと背が高くて綺麗めで、大人びているのに可愛いくて、羨ましいな、って」
「……」
鷹刀の血統にしては細身で小柄なルイフォンだが、男性の平均身長は超えているので、女装姿であれば、確かに『すらっと背が高く』見えることだろう。
リュイセンは頭の中でそう思ったが、余計な口を挟むような真似は控えた。綺羅の美貌を持つアイリーに、『可愛いくて、羨ましい』と言われてしまった弟分が、不憫でならなかったのである。
「言葉少なだけれど、優しくて。さんざん待たせてしまったのに、ちっとも怒らないでくれたの」
「……」
喋ったら男だとバレるため、口をきけなかっただけだ。そして、何時間、待たされようとも、女王に怒り出す平民はいないだろう。
「あの子が……ルイフォン……」
「……ああ」
無言を続けるのも悪いので、リュイセンは、せめてもの思いで、申し訳程度の相槌を打つ。
「……ええと、つまり……、私が『ユイランさんと親しくなって、鷹刀のお屋敷にセレイエの死を確かめに行こう』と思っていた裏側で、ヤンイェンお異母兄様は既に、ルイフォンとの接触を果たしていたわけね」
「え?」
いきなり暴露話のようなことを口にしたアイリーに、リュイセンは軽く目を瞬かせた。
「あ、誤解しないで! 私は、セレイエのことを聞きたいから、ユイランさんと仲良くしたわけじゃないわ。もともとセレイエから、ユイランさんは『もうひとりのお母さん』だって聞いていて、親しみを感じていたし、彼女の作る服は、お世辞じゃなくて本当に大好きなのよ」
そう言いながら彼女は立ち上がり、その場で、くるりと一回転する。
白金の髪を飾る青絹の髪飾りが、漣を立てて流れ、淡い青色のワンピースの裾が、波打つように優美に広がった。
彼女に似合う、長すぎない裾丈は、軽やかでありながらも上品さを忘れず、凛とした可愛らしさを醸し出す。そして、何より、お気に入りの服を楽しんでいる、彼女自身が輝いていた。
「ねぇ、気づいてないの? この服は、あのとき、ユイランさんが私のために作ってくれたものよ。素敵でしょう?」
「あ――」
確かに、ルイフォンの報告書には『見本品に手を加えた服を女王がいたく気に入り、ヤンイェンが私費で買い取った』と書いてあった。
ただし、情報の取捨選択が下手なリュイセンとは違い、弟分は要点を的確にまとめることに長けている。当然のことながら、服の色やデザインなどの詳細は省かれており、『気づいてないの?』と言われても、気づきようもなかったのである。
「……すまん」
リュイセンに非はないはずなのだが、何故か謝った。……先ほどから、謝ってばかりのような気がする。
「仕方ないわ。殿方は、お洒落になんて興味がないんでしょう? 私にしてみれば、ユイランさんがお母様だなんて、リュイセンが羨ましくてならないのにね」
わずかに頬を膨らませながらも、アイリーは、おとなしく引き下がった。
それから、ふっと顔を曇らせる。
「……ヤンイェンお異母兄様は、既に、すべて知ってしまっていたのね」
「!?」
不穏を帯びた声に、リュイセンは眉を寄せた。
「ルイフォンのもとに、ライシェンの『記憶』と『肉体』が揃っていることを。けれど、『記憶』は封じたままにするつもりだということも……」
ぽつり、ぽつりと落とされる言葉が、波紋のように広がっていく。
「ルイフォンの立場からすれば、『一切の誤魔化しをせずに伝えるのが、道理』と考えたのは分かるわ。でも、私は、ルイフォンがお異母兄様と会うときには、『ありのままは伝えないほうがいい』って助言……ううん、忠告するつもりだったのよ」
「アイリー?」
リュイセンは覚束ない気分になって、思わず彼女の名を呟いた。
「そこまで何もかも包み隠さずに、正直に明かしちゃったら、ルイフォンが予測していた通り、お異母兄様とルイフォンたちは、敵対するしかないと思うわ」
「なっ……!?」
耳朶を打つ、アイリーの不吉な予言に、リュイセンは顔色を変える。
「だって、お異母兄様はずっと、『記憶』と『肉体』を手に入れて、ライシェンを生き返らせたいと願っていたのよ? その両方が既に揃っていて、しかも、代償にセレイエが命を落としたんだもの。お異母兄様は、必ず……」
彼女は唇を噛み、その先の言葉を封じた。
想定外の深刻な様子に、リュイセンは「おい、待てよ」と、困惑顔で焦る。
「『ヤンイェンは、とても冷静だった』と、ルイフォンは報告してきたぞ? ライシェンの『記憶』に関しては、いろいろ思うところはあるだろうけれど、理性的な態度だった、と。敵対することになるとは思えないんだが……?」
しかし、アイリーは頭を振った。
「『デヴァイン・シンフォニア計画』のために、たくさんの人が犠牲になった、と聞いたあとで、『それでも、ライシェンを生き返らせたい』なんて、お異母兄様が言えるわけないじゃない。それに、『記憶』と『肉体』の両方を預かっているルイフォンに、敵意を見せるわけないでしょう?」
強い口調で言ってから、彼女は、はっと口元を押さえた。それから、「ごめんなさい」と、身を縮める。
「あ、あのね。ヤンイェンお異母兄様って、もともとは何ごとにも執着しない、何もかも諦めたような人だったの。温厚な人、って言われていたけど、異母妹の私の目には、空っぽの人に見えたわ」
彼女は先天性白皮症の白い手に目線を落とし、ぐっと握りしめた。
「……生まれのせいよ。お異母兄様は〈神の御子〉の誕生を期待されて、表向きは姉弟である、お父様と伯母様の間に生まれた禁忌の子。なのに、黒髪黒目で。――だから、ずっと、〈神の御子〉の異母妹を守ることだけを考えて生きていたの。お異母兄様自身は、何も望まずに」
アイリーは、そこで大きく息を吸った。沈んだ細い声が「でもっ」と、高く跳ね上がる。
「セレイエと出逢って変わったの。やっと、自分のために生きてくれるようになったのよ……!」
庇護者のようなヤンイェンに、アイリーはずっと罪悪感を抱いていたのだろう。そして、ようやく自身の幸せを見つけた彼を心から祝福した。
けれど、穏やかな日々は、長くは続かなかった……。
「お異母兄様にとって、セレイエとライシェンは、やっと見つけた、かけがえのない存在なの。なくしたら、正常な心を保てない。……人を――お父様を殺してしまえるほどに」
「…………」
「ライシェンを失ったとき、お異母兄様の心の一部が欠けてしまったのを感じたわ。その上、セレイエまで亡くしたなら……」
華奢な肩が、儚げに震えた。
リュイセンは思わず腰を浮かせかけ、しかし、身を乗り出して抱き寄せるなど、もってのほかで。だからといって、口下手な彼が、掛けるべき言葉を思いつくわけもなく。――故に、ただ押し黙る。
「……だからね、私には断言できるわ。お異母兄様の本心は、『何を犠牲にしてでも、亡くしたライシェンを取り戻したい』よ」
アイリーは吐き捨て、白金の髪を波打たせながら顔を上げた。澄み渡った青灰色の瞳は、強気な声色とは裏腹に、まるで縋るように弱々しい。
「でもね。お異母兄様は、望んで敵対したいわけじゃないの。だって、ルイフォンは大切な義弟なんだもの。仲良く手を取り合って、蘇ったライシェンに幸せな未来を贈れれば、どんなにいいかと思っているはずよ」
訴えるようにリュイセンを見つめ、けれど、消え入りそうな声で続ける。
「お異母兄様には、敵意も悪意もないの。ただ、『|息子を生き返らせたい』という激情に抗えないだけ……」
突き放すような物言いと、寄り添うような面持ち。ひとことごとに揺れる印象は、彼女の気持ちそのものなのだろう。
『ライシェンの代わりはいない』と主張する彼女としては、異母兄の願いを認めるわけにはいかない。けれど、彼女だって異母兄と、いがみ合いたくなどないのだ。
彼女は、わずかに視線を落とし、険しい顔で告げる。
「お異母兄様は今、『ルイフォンたちと敵対しないですむ方法』のために、水面下で動き出していると思うわ」
「そうなのか。……――は?」
アイリーの雰囲気に呑まれ、思わず納得しそうになったリュイセンであるが、よくよく考えると、彼女の言葉は意味不明だ。彼は慌てて、秀眉を寄せて問いただす。
「おい、さっきまでの話と矛盾していないか? ヤンイェンが『記憶』にこだわるのなら、ルイフォンとは相容れないだろう? 敵対しないですむ方法なんて、あるわけが……」
背反である二択に、妥協点はないはずだ。
『仕立て屋の助手の少女』の正体がルイフォンだと知らされ、アイリーは呆然と呟いた。
「……すまん。本当だ」
あまりの居たたまれなさに、リュイセンの口から思わず謝罪の言葉が衝いて出る。
「あっ、違うのよ。信じていないわけじゃなくて。――あ、あのね。あの子が、鷹刀の血族だというのは分かったのよ」
動揺のためか、アイリーは慌てて弁解を始める。
「セレイエとは目元や髪質が違うけど、顔全体の雰囲気がよく似ているから、きっと親戚の子なのね、って思ったわ。すらっと背が高くて綺麗めで、大人びているのに可愛いくて、羨ましいな、って」
「……」
鷹刀の血統にしては細身で小柄なルイフォンだが、男性の平均身長は超えているので、女装姿であれば、確かに『すらっと背が高く』見えることだろう。
リュイセンは頭の中でそう思ったが、余計な口を挟むような真似は控えた。綺羅の美貌を持つアイリーに、『可愛いくて、羨ましい』と言われてしまった弟分が、不憫でならなかったのである。
「言葉少なだけれど、優しくて。さんざん待たせてしまったのに、ちっとも怒らないでくれたの」
「……」
喋ったら男だとバレるため、口をきけなかっただけだ。そして、何時間、待たされようとも、女王に怒り出す平民はいないだろう。
「あの子が……ルイフォン……」
「……ああ」
無言を続けるのも悪いので、リュイセンは、せめてもの思いで、申し訳程度の相槌を打つ。
「……ええと、つまり……、私が『ユイランさんと親しくなって、鷹刀のお屋敷にセレイエの死を確かめに行こう』と思っていた裏側で、ヤンイェンお異母兄様は既に、ルイフォンとの接触を果たしていたわけね」
「え?」
いきなり暴露話のようなことを口にしたアイリーに、リュイセンは軽く目を瞬かせた。
「あ、誤解しないで! 私は、セレイエのことを聞きたいから、ユイランさんと仲良くしたわけじゃないわ。もともとセレイエから、ユイランさんは『もうひとりのお母さん』だって聞いていて、親しみを感じていたし、彼女の作る服は、お世辞じゃなくて本当に大好きなのよ」
そう言いながら彼女は立ち上がり、その場で、くるりと一回転する。
白金の髪を飾る青絹の髪飾りが、漣を立てて流れ、淡い青色のワンピースの裾が、波打つように優美に広がった。
彼女に似合う、長すぎない裾丈は、軽やかでありながらも上品さを忘れず、凛とした可愛らしさを醸し出す。そして、何より、お気に入りの服を楽しんでいる、彼女自身が輝いていた。
「ねぇ、気づいてないの? この服は、あのとき、ユイランさんが私のために作ってくれたものよ。素敵でしょう?」
「あ――」
確かに、ルイフォンの報告書には『見本品に手を加えた服を女王がいたく気に入り、ヤンイェンが私費で買い取った』と書いてあった。
ただし、情報の取捨選択が下手なリュイセンとは違い、弟分は要点を的確にまとめることに長けている。当然のことながら、服の色やデザインなどの詳細は省かれており、『気づいてないの?』と言われても、気づきようもなかったのである。
「……すまん」
リュイセンに非はないはずなのだが、何故か謝った。……先ほどから、謝ってばかりのような気がする。
「仕方ないわ。殿方は、お洒落になんて興味がないんでしょう? 私にしてみれば、ユイランさんがお母様だなんて、リュイセンが羨ましくてならないのにね」
わずかに頬を膨らませながらも、アイリーは、おとなしく引き下がった。
それから、ふっと顔を曇らせる。
「……ヤンイェンお異母兄様は、既に、すべて知ってしまっていたのね」
「!?」
不穏を帯びた声に、リュイセンは眉を寄せた。
「ルイフォンのもとに、ライシェンの『記憶』と『肉体』が揃っていることを。けれど、『記憶』は封じたままにするつもりだということも……」
ぽつり、ぽつりと落とされる言葉が、波紋のように広がっていく。
「ルイフォンの立場からすれば、『一切の誤魔化しをせずに伝えるのが、道理』と考えたのは分かるわ。でも、私は、ルイフォンがお異母兄様と会うときには、『ありのままは伝えないほうがいい』って助言……ううん、忠告するつもりだったのよ」
「アイリー?」
リュイセンは覚束ない気分になって、思わず彼女の名を呟いた。
「そこまで何もかも包み隠さずに、正直に明かしちゃったら、ルイフォンが予測していた通り、お異母兄様とルイフォンたちは、敵対するしかないと思うわ」
「なっ……!?」
耳朶を打つ、アイリーの不吉な予言に、リュイセンは顔色を変える。
「だって、お異母兄様はずっと、『記憶』と『肉体』を手に入れて、ライシェンを生き返らせたいと願っていたのよ? その両方が既に揃っていて、しかも、代償にセレイエが命を落としたんだもの。お異母兄様は、必ず……」
彼女は唇を噛み、その先の言葉を封じた。
想定外の深刻な様子に、リュイセンは「おい、待てよ」と、困惑顔で焦る。
「『ヤンイェンは、とても冷静だった』と、ルイフォンは報告してきたぞ? ライシェンの『記憶』に関しては、いろいろ思うところはあるだろうけれど、理性的な態度だった、と。敵対することになるとは思えないんだが……?」
しかし、アイリーは頭を振った。
「『デヴァイン・シンフォニア計画』のために、たくさんの人が犠牲になった、と聞いたあとで、『それでも、ライシェンを生き返らせたい』なんて、お異母兄様が言えるわけないじゃない。それに、『記憶』と『肉体』の両方を預かっているルイフォンに、敵意を見せるわけないでしょう?」
強い口調で言ってから、彼女は、はっと口元を押さえた。それから、「ごめんなさい」と、身を縮める。
「あ、あのね。ヤンイェンお異母兄様って、もともとは何ごとにも執着しない、何もかも諦めたような人だったの。温厚な人、って言われていたけど、異母妹の私の目には、空っぽの人に見えたわ」
彼女は先天性白皮症の白い手に目線を落とし、ぐっと握りしめた。
「……生まれのせいよ。お異母兄様は〈神の御子〉の誕生を期待されて、表向きは姉弟である、お父様と伯母様の間に生まれた禁忌の子。なのに、黒髪黒目で。――だから、ずっと、〈神の御子〉の異母妹を守ることだけを考えて生きていたの。お異母兄様自身は、何も望まずに」
アイリーは、そこで大きく息を吸った。沈んだ細い声が「でもっ」と、高く跳ね上がる。
「セレイエと出逢って変わったの。やっと、自分のために生きてくれるようになったのよ……!」
庇護者のようなヤンイェンに、アイリーはずっと罪悪感を抱いていたのだろう。そして、ようやく自身の幸せを見つけた彼を心から祝福した。
けれど、穏やかな日々は、長くは続かなかった……。
「お異母兄様にとって、セレイエとライシェンは、やっと見つけた、かけがえのない存在なの。なくしたら、正常な心を保てない。……人を――お父様を殺してしまえるほどに」
「…………」
「ライシェンを失ったとき、お異母兄様の心の一部が欠けてしまったのを感じたわ。その上、セレイエまで亡くしたなら……」
華奢な肩が、儚げに震えた。
リュイセンは思わず腰を浮かせかけ、しかし、身を乗り出して抱き寄せるなど、もってのほかで。だからといって、口下手な彼が、掛けるべき言葉を思いつくわけもなく。――故に、ただ押し黙る。
「……だからね、私には断言できるわ。お異母兄様の本心は、『何を犠牲にしてでも、亡くしたライシェンを取り戻したい』よ」
アイリーは吐き捨て、白金の髪を波打たせながら顔を上げた。澄み渡った青灰色の瞳は、強気な声色とは裏腹に、まるで縋るように弱々しい。
「でもね。お異母兄様は、望んで敵対したいわけじゃないの。だって、ルイフォンは大切な義弟なんだもの。仲良く手を取り合って、蘇ったライシェンに幸せな未来を贈れれば、どんなにいいかと思っているはずよ」
訴えるようにリュイセンを見つめ、けれど、消え入りそうな声で続ける。
「お異母兄様には、敵意も悪意もないの。ただ、『|息子を生き返らせたい』という激情に抗えないだけ……」
突き放すような物言いと、寄り添うような面持ち。ひとことごとに揺れる印象は、彼女の気持ちそのものなのだろう。
『ライシェンの代わりはいない』と主張する彼女としては、異母兄の願いを認めるわけにはいかない。けれど、彼女だって異母兄と、いがみ合いたくなどないのだ。
彼女は、わずかに視線を落とし、険しい顔で告げる。
「お異母兄様は今、『ルイフォンたちと敵対しないですむ方法』のために、水面下で動き出していると思うわ」
「そうなのか。……――は?」
アイリーの雰囲気に呑まれ、思わず納得しそうになったリュイセンであるが、よくよく考えると、彼女の言葉は意味不明だ。彼は慌てて、秀眉を寄せて問いただす。
「おい、さっきまでの話と矛盾していないか? ヤンイェンが『記憶』にこだわるのなら、ルイフォンとは相容れないだろう? 敵対しないですむ方法なんて、あるわけが……」
背反である二択に、妥協点はないはずだ。