残酷な描写あり
6.天と地の共謀-1
女王を拉致した凶賊の車の扉が開いたとき、四人の近衛隊員たちは一斉に銃を構えた。
しかし、車から降りてくる黒いタイツの足と、それに続く、漣のように流れる淡い青色のスカートの裾が見えた途端、彼らは身動きを取れなくなった。
『卑劣な賊は、女王陛下を人質にして、この場から逃走を謀ろうとしている』
誰もが、そう確信した。
扉を挟んで見えない向こう側、これからゆっくりと姿を現すのであろう賊への怒りに震える。
近衛隊員たちの脳裏には、女王の喉元に刃物を突きつけた賊の姿が浮かんでいた。彼女を盾に、近衛隊の銃口から身を守ろうとする外道な魂胆だ。
凶漢に後ろ抱きにされた女王は、綺羅の美貌を引きつらせ、脅えきった青灰色の瞳で縋るように助けを求めているに違いない……。
「陛下ぁっ!」
緊張に耐えきれなくなった隊員のひとりが、思わず声を上げた。女王に呼びかけたところで何が変わるわけでもないのだが、叫ばずにはいられなかったのだ。
――と。
そのとき。
「ちょっと、あなたたち! 私の言うことを無視するのも、大概になさい!」
扉の裏側から、ひょこりと小柄な影が現れた。
無機質な道路に響く声は、明らかに憤りの語調であるのだが、天界の琴を爪弾くような音色は、思わず聞き惚れてしまいそうなほどに美しい。
「陛下!?」
「私はお忍びに出掛けたのよ! それを拉致だなんて! 護衛を頼んだ、この者に失礼でしょう!」
大華王国における、唯一無二の白金の髪をなびかせ、女王アイリーは華奢な肩を怒らせる。仁王立ちとなった彼女は、ぐいと顎を上げ、頭ふたつ分以上大きな近衛隊員たちを睥睨する。
黒塗りの車から飛び出してきた麗姿は、まるで、そこだけ色彩を得たかのような鮮やかさで――。
しかし……。
いくら傲然とした物言いをしたところで、可愛らしすぎる十五歳の少女には、残念ながら威厳の欠片もなかった。
「……」
女王の無事を確認した近衛隊員たちは、ひとまず胸を撫で下ろした。
どうやら賊は、『お忍び』だと完全に信じ切っている女王を利用するつもりらしい。彼女に近衛隊を説き伏せさせ、この場を切り抜けることにしたのだ。女王の我儘なら、近衛隊も聞かざるをえないと思っているのだろう。
しかし、そうは問屋が卸さない。
生憎だが、近衛隊は女王の命で動くとは限らないのだ。確かに、王直属の組織であることは事実だが、年若く、判断力に乏しい女王の指示を仰いでいては、この国が迷走してしまう。故に、事実上の国の指導者である、摂政の言葉に従うことこそが、彼らの務めというわけだ。
無論、近衛隊たるもの、女王には並ならぬ敬愛の情を捧げている。
王の権威が損なわれるからと、公式な場では決して見せることのない天真爛漫な笑顔も、そばに控える彼らには、日々の和み。無邪気な言動に癒やされることも、しばしば。彼らは慈しみの心でもって、幼い女王を見守っている。
なればこそ、純粋無垢な女王を騙す凶賊は許すまじと、怒りが募った。
近衛隊員たちは、車の中に隠れている賊を警戒しつつ、臣下の礼を取るべく片膝を付く。心の中で女王に対し、『頼みますから、こちらに向かってあと一歩、近づいてください。さすれば、御身を保護し、賊を捕獲すべく動くことができるのです!』と、切に願いながら。
「お言葉ですが陛下。護衛ならば、我ら近衛隊がおります。我らに命じるのが、王の採るべき道でございます」
「あなたたちじゃ、私の行きたい場所には連れて行ってくれないでしょう? だから、この者を雇ったのよ」
女王は身を翻し、半開きになったままの扉を覗き込む。そして、白い指先を伸ばし、細い腕を絡めるようにして、中にいた人物を車外に降ろした。
現れた男を目にした瞬間、近衛隊員たちは、天と地を描いた絵画を前にしているのかと錯覚した。
白金に輝く女王と、その傍らに立つ漆黒の影。華奢な女王に対し、立派な体躯の男は、あたかも彼女に付き添い、守るために在るかのように感じられた。
そして、何より。
女王の隣に並んでも引けをとらないほどの黄金比の美貌。逞しさを備えた、精悍な面差しに目を奪われる。
この男は女王の対極にありながら、双対だ。
対を成すとは、このようなことをいうのだと思わざるを得ない……。
「陛下、その者は……?」
近衛隊員のひとりが無意識に口走り、途中で、自分は何を尋ねているのだと、自らの頬を叩いて叱咤した。だが、他の隊員の様子も大差なく、皆、ぽかんと口を開けている。
この男の身元なら、初めから分かっているのだ。『賊は、鷹刀一族である』と、摂政が断言したのだから。
鷹刀といえば、代々、近親婚を繰り返し、血族は等しく魔性の美を誇るという、謎めいた一族だ。
なるほど。確かに、この男は鷹刀一族の者で間違いないだろう。摂政の言葉は、まったくもって正しい――。
近衛隊員たちは、深く得心すると同時に摂政の顔を思い出し、はっと現実に戻った。
彼らは、賊を捕まえ、摂政のもとに連れていくようにと命じられているのだ。
慌てて、頭の中を賊の捕獲へと切り替え、状況を見極める。
車の中には複数人の凶賊が詰めているものと考えていたのだが、どうやら、この男以外、他に誰かいるような気配はない。つまり、今まで女王は、この男と車内でふたりきりだったのだ。……まるで、逢瀬のように。
女王の態度を見れば、この男を気に入っていることは、疑いようもない。男を捕まえようとすれば、彼女は激しく抗議するだろう。
実に厄介な事態といえた。
近衛隊員たちの胸に、殺意が芽生える。
異性に免疫のない、無垢な陛下の御心に付け入るとは……!
一瞬とはいえ、女王と男が『お似合い』などと思ってしまったことは記憶の彼方に封じ、近衛隊員たちは、国の至宝たる女王を穢されたとばかりに、憤怒に顔を染める。そんな彼らの気持ちを汲んだように、夏の陽射しが、ぎらりと揺らめく。
タイヤを撃ち抜かれた車の脇で、寄り添うように佇む、女王と男。
そのふたりと対峙するように立ち並ぶ、殺気立った近衛隊員たち。
両者の間にあるのは、どこまで行っても妥協点のない平行線だ。
どちらかが実力行使に移ったとき、この睨み合いの均衡は崩れる――と、思われたときだった。
遠くから、車の走行音が聞こえてきた。
近衛隊員たちは『女王拉致』の件を極秘に解決するため、付近の道路を通行止めにしていた。しかし、『穴場の絶景スポット』などという辺鄙な場所だ。大道路を閉鎖したところで、地図に載っていないような細い道もあったのだろう。
しまった! ――と、近衛隊員たちが思う間もなく、一台の車が目視できる距離にまで近づいてくる。
近衛隊としては、女王の関わる事件に民間人を巻き込むのは避けたいところであるし、何より、女王が男に誑かされて拉致されそうになっているなどという醜聞は、断じて世間に知られるわけにはいかない。
明らかに問題の生じている、この現場。触らぬ神に祟りなしと、無視して去ってくれよと祈るが……、思いも虚しく、その車は一同のそばで、ぴたりと停車した。
「事故っすか!? お手伝いしますよ!」
威勢のいい声と共に、ひとりの若い男が降りてくる。かなりの巨漢である上に、骨ばった厳つい顔つきであるのだが、愛想のいい笑顔と愛嬌のある八重歯で、妙に間の抜けた印象の男だった。
予期せぬ乱入者の登場に、近衛隊員たちは戸惑いを隠せない。しかし、八重歯の巨漢は構わず、そのままの調子で続けた。
「俺、力仕事には自信がありますんで!」
彼は目線で側溝に落ちた車を示し、力こぶを作るような仕草をする。おそらく、肉体労働を生業としているのだろう、立派な太い腕であった。
だが、脱輪した車を持ち上げるだけなら、この場の人数で充分だと分かりそうなもので……。
どうやら彼は、二台の車が衝突事故を起こし、睨み合った両者の間で喧嘩が起きていると思ったらしい。更にいえば、取り囲むようにずらりと並んだ近衛隊員たちが、ドライブ中だった恋人を威圧していると感じたようだ。
それで、腕っぷしの強さを示し、お節介な正義感で、仲裁しようと割り込んできたのだ。
面倒なことになったと、近衛隊員たちは狼狽する。
そして、彼らにとって最悪なことは、その直後に起きた。
無遠慮な八重歯の巨漢が、ぐいぐいと近づいてきた結果、今まで近衛隊員たちの影で目隠しになっていた、小柄な女王の白金の髪を目撃されてしまったのである。
「じょ、女王陛下ぁっ!?」
大音声を張り上げ、巨漢は仰天した。
しかし、車から降りてくる黒いタイツの足と、それに続く、漣のように流れる淡い青色のスカートの裾が見えた途端、彼らは身動きを取れなくなった。
『卑劣な賊は、女王陛下を人質にして、この場から逃走を謀ろうとしている』
誰もが、そう確信した。
扉を挟んで見えない向こう側、これからゆっくりと姿を現すのであろう賊への怒りに震える。
近衛隊員たちの脳裏には、女王の喉元に刃物を突きつけた賊の姿が浮かんでいた。彼女を盾に、近衛隊の銃口から身を守ろうとする外道な魂胆だ。
凶漢に後ろ抱きにされた女王は、綺羅の美貌を引きつらせ、脅えきった青灰色の瞳で縋るように助けを求めているに違いない……。
「陛下ぁっ!」
緊張に耐えきれなくなった隊員のひとりが、思わず声を上げた。女王に呼びかけたところで何が変わるわけでもないのだが、叫ばずにはいられなかったのだ。
――と。
そのとき。
「ちょっと、あなたたち! 私の言うことを無視するのも、大概になさい!」
扉の裏側から、ひょこりと小柄な影が現れた。
無機質な道路に響く声は、明らかに憤りの語調であるのだが、天界の琴を爪弾くような音色は、思わず聞き惚れてしまいそうなほどに美しい。
「陛下!?」
「私はお忍びに出掛けたのよ! それを拉致だなんて! 護衛を頼んだ、この者に失礼でしょう!」
大華王国における、唯一無二の白金の髪をなびかせ、女王アイリーは華奢な肩を怒らせる。仁王立ちとなった彼女は、ぐいと顎を上げ、頭ふたつ分以上大きな近衛隊員たちを睥睨する。
黒塗りの車から飛び出してきた麗姿は、まるで、そこだけ色彩を得たかのような鮮やかさで――。
しかし……。
いくら傲然とした物言いをしたところで、可愛らしすぎる十五歳の少女には、残念ながら威厳の欠片もなかった。
「……」
女王の無事を確認した近衛隊員たちは、ひとまず胸を撫で下ろした。
どうやら賊は、『お忍び』だと完全に信じ切っている女王を利用するつもりらしい。彼女に近衛隊を説き伏せさせ、この場を切り抜けることにしたのだ。女王の我儘なら、近衛隊も聞かざるをえないと思っているのだろう。
しかし、そうは問屋が卸さない。
生憎だが、近衛隊は女王の命で動くとは限らないのだ。確かに、王直属の組織であることは事実だが、年若く、判断力に乏しい女王の指示を仰いでいては、この国が迷走してしまう。故に、事実上の国の指導者である、摂政の言葉に従うことこそが、彼らの務めというわけだ。
無論、近衛隊たるもの、女王には並ならぬ敬愛の情を捧げている。
王の権威が損なわれるからと、公式な場では決して見せることのない天真爛漫な笑顔も、そばに控える彼らには、日々の和み。無邪気な言動に癒やされることも、しばしば。彼らは慈しみの心でもって、幼い女王を見守っている。
なればこそ、純粋無垢な女王を騙す凶賊は許すまじと、怒りが募った。
近衛隊員たちは、車の中に隠れている賊を警戒しつつ、臣下の礼を取るべく片膝を付く。心の中で女王に対し、『頼みますから、こちらに向かってあと一歩、近づいてください。さすれば、御身を保護し、賊を捕獲すべく動くことができるのです!』と、切に願いながら。
「お言葉ですが陛下。護衛ならば、我ら近衛隊がおります。我らに命じるのが、王の採るべき道でございます」
「あなたたちじゃ、私の行きたい場所には連れて行ってくれないでしょう? だから、この者を雇ったのよ」
女王は身を翻し、半開きになったままの扉を覗き込む。そして、白い指先を伸ばし、細い腕を絡めるようにして、中にいた人物を車外に降ろした。
現れた男を目にした瞬間、近衛隊員たちは、天と地を描いた絵画を前にしているのかと錯覚した。
白金に輝く女王と、その傍らに立つ漆黒の影。華奢な女王に対し、立派な体躯の男は、あたかも彼女に付き添い、守るために在るかのように感じられた。
そして、何より。
女王の隣に並んでも引けをとらないほどの黄金比の美貌。逞しさを備えた、精悍な面差しに目を奪われる。
この男は女王の対極にありながら、双対だ。
対を成すとは、このようなことをいうのだと思わざるを得ない……。
「陛下、その者は……?」
近衛隊員のひとりが無意識に口走り、途中で、自分は何を尋ねているのだと、自らの頬を叩いて叱咤した。だが、他の隊員の様子も大差なく、皆、ぽかんと口を開けている。
この男の身元なら、初めから分かっているのだ。『賊は、鷹刀一族である』と、摂政が断言したのだから。
鷹刀といえば、代々、近親婚を繰り返し、血族は等しく魔性の美を誇るという、謎めいた一族だ。
なるほど。確かに、この男は鷹刀一族の者で間違いないだろう。摂政の言葉は、まったくもって正しい――。
近衛隊員たちは、深く得心すると同時に摂政の顔を思い出し、はっと現実に戻った。
彼らは、賊を捕まえ、摂政のもとに連れていくようにと命じられているのだ。
慌てて、頭の中を賊の捕獲へと切り替え、状況を見極める。
車の中には複数人の凶賊が詰めているものと考えていたのだが、どうやら、この男以外、他に誰かいるような気配はない。つまり、今まで女王は、この男と車内でふたりきりだったのだ。……まるで、逢瀬のように。
女王の態度を見れば、この男を気に入っていることは、疑いようもない。男を捕まえようとすれば、彼女は激しく抗議するだろう。
実に厄介な事態といえた。
近衛隊員たちの胸に、殺意が芽生える。
異性に免疫のない、無垢な陛下の御心に付け入るとは……!
一瞬とはいえ、女王と男が『お似合い』などと思ってしまったことは記憶の彼方に封じ、近衛隊員たちは、国の至宝たる女王を穢されたとばかりに、憤怒に顔を染める。そんな彼らの気持ちを汲んだように、夏の陽射しが、ぎらりと揺らめく。
タイヤを撃ち抜かれた車の脇で、寄り添うように佇む、女王と男。
そのふたりと対峙するように立ち並ぶ、殺気立った近衛隊員たち。
両者の間にあるのは、どこまで行っても妥協点のない平行線だ。
どちらかが実力行使に移ったとき、この睨み合いの均衡は崩れる――と、思われたときだった。
遠くから、車の走行音が聞こえてきた。
近衛隊員たちは『女王拉致』の件を極秘に解決するため、付近の道路を通行止めにしていた。しかし、『穴場の絶景スポット』などという辺鄙な場所だ。大道路を閉鎖したところで、地図に載っていないような細い道もあったのだろう。
しまった! ――と、近衛隊員たちが思う間もなく、一台の車が目視できる距離にまで近づいてくる。
近衛隊としては、女王の関わる事件に民間人を巻き込むのは避けたいところであるし、何より、女王が男に誑かされて拉致されそうになっているなどという醜聞は、断じて世間に知られるわけにはいかない。
明らかに問題の生じている、この現場。触らぬ神に祟りなしと、無視して去ってくれよと祈るが……、思いも虚しく、その車は一同のそばで、ぴたりと停車した。
「事故っすか!? お手伝いしますよ!」
威勢のいい声と共に、ひとりの若い男が降りてくる。かなりの巨漢である上に、骨ばった厳つい顔つきであるのだが、愛想のいい笑顔と愛嬌のある八重歯で、妙に間の抜けた印象の男だった。
予期せぬ乱入者の登場に、近衛隊員たちは戸惑いを隠せない。しかし、八重歯の巨漢は構わず、そのままの調子で続けた。
「俺、力仕事には自信がありますんで!」
彼は目線で側溝に落ちた車を示し、力こぶを作るような仕草をする。おそらく、肉体労働を生業としているのだろう、立派な太い腕であった。
だが、脱輪した車を持ち上げるだけなら、この場の人数で充分だと分かりそうなもので……。
どうやら彼は、二台の車が衝突事故を起こし、睨み合った両者の間で喧嘩が起きていると思ったらしい。更にいえば、取り囲むようにずらりと並んだ近衛隊員たちが、ドライブ中だった恋人を威圧していると感じたようだ。
それで、腕っぷしの強さを示し、お節介な正義感で、仲裁しようと割り込んできたのだ。
面倒なことになったと、近衛隊員たちは狼狽する。
そして、彼らにとって最悪なことは、その直後に起きた。
無遠慮な八重歯の巨漢が、ぐいぐいと近づいてきた結果、今まで近衛隊員たちの影で目隠しになっていた、小柄な女王の白金の髪を目撃されてしまったのである。
「じょ、女王陛下ぁっ!?」
大音声を張り上げ、巨漢は仰天した。