残酷な描写あり
5.千波万波の帰り道-4
摂政は何故、『賊』が『鷹刀一族の者』だと知っていた?
「何故だ……?」
リュイセンは小声で独り言ち、真理を見抜くべく、神経を研ぎ澄ませる。
そもそも――。
どうして、神殿にいるはずのアイリーが外に出ていると、摂政にバレた?
どうやって、近衛隊は、動き回るアイリーの居場所を正確に知ることができた?
リュイセンの脳裏に、次々と疑問が浮かび上がる。
そのとき、彼のポケットの中で携帯端末が振動した。
確認すると、『あと少しで、援護のための部下たちが到着します』というメッセージが入っていた。先ほどの非常事態を知らせるワンコールで急いでくれたらしく、『リュイセン様の端末の位置情報からすると、飛ばせば、ものの数分で着きます』と。
その文面を目にした瞬間、リュイセンは悟った。
――そういうことか!
舌打ちと共に、飛び出しそうになった罵声を意志の力で呑み込む。外にいる近衛隊員たちを無駄に刺激するのは、得策ではないからだ。……それでも、噛み締めた奥歯の隙間から、小さな呻きが漏れる。
「アイリーの携帯端末……! 迂闊だった……!」
ぞくりと響いた魅惑の低音に、アイリーが「え?」と、緊張の面持ちで振り返る。彼女は素早く近衛隊員たちとの会話から頭を切り替え、近すぎる距離感でリュイセンの顔を覗き込んだ。
「何があったの?」
「お前の携帯端末が、摂政に位置情報を送り続けていたんだ」
気づいてしまえば、実に単純な絡繰りだ。
リュイセンの端末が、部下たちに現在地を指し示すように、アイリーの端末が、彼女の足跡を王宮に伝えていただけ。彼女の端末情報が、庇護者である摂政に筒抜けである可能性を考慮しなかったリュイセンの失態だ。
「――っ!」
アイリーは血相を変えて、自分の端末を取り出した。位置情報の設定を無効にし、それだけでは安心できなかったのか、電源を落とす。
けれど、今更どうしようもない。端末を握りしめ、「お兄様、酷いわ!」と声を震わせる彼女に、リュイセンは怒りと苛立ちを押し殺した声で告げる。
「アイリー。非常に、まずい事態だ。――摂政に、してやられた」
リュイセンは、決して頭の回転が速いほうではない。けれど、天性の直感で、一足飛びに真理にまで辿り着く。
理屈ではない。肌が粟立つような感覚から、彼は摂政の思惑を理解した。
「鷹刀は、摂政に嵌められた」
「お兄様に嵌められた!? ――どういうことよ!?」
「いいか? 決して、お前のせいじゃないぞ?」
詰め寄るアイリーに、リュイセンは前置きをした。きょとんと首をかしげる彼女に、彼は苦い思いで言を継ぐ。
「『女王が、鷹刀の人間と一緒にいる』という状況を、摂政にうまく利用された。摂政は、『鷹刀は女王を拉致した。王家に叛意あり』として、一族を潰すつもりだ。『必ず賊を捕らえて、連れてこい』というのは、鷹刀が拉致犯だという証拠にするためだ」
「な……、何ですって――!? ……っ、ごめんなさい! 私が鷹刀のお屋敷に乗り込んでいったから……!」
「だから、お前を責めているわけじゃねぇ! ……ただ、お前の脱走が、摂政に、いい口実を与えてしまった、ってだけだ」
摂政がいつ、アイリーの脱走に気づいたのかは分からない。けれど、目的地が鷹刀一族の屋敷だと知り、すぐには連れ戻さずに泳がせたのだ。
何故なら、摂政は、鷹刀にセレイエが匿われていると信じているから。仲の良かったアイリーなら、無下に扱われることはないと踏んだ。
それどころか、アイリーなら、摂政が喉から手が出るほど欲しがっている『ライシェン』の情報を得られると考えたのだろう。あとで妹を問い詰め、聞き出すという算段を立てたに違いない。
事実、既にセレイエが亡くなっていることを除けば、その通りとなったのだから、摂政の読みは正しかったといえる。
リュイセンが屋敷の周りに異変を感じなかったのは、気配に敏い凶賊に感づかれることを恐れ、摂政が近衛隊を配置しなかったため。もとより、監視の役目なら携帯端末が担っている。
摂政が攻勢に転じるのは、アイリーが帰る段になってからでよいのだ。
賓客として丁重にもてなされたアイリーは、必ず鷹刀一族の誰かが――それも、かなりの地位にある者が送っていく。そのときになって初めて近衛隊を出動させ、鷹刀の者を『女王拉致』の現行犯で捕らえればよいだけだ。
「今ここで、俺が近衛隊に捕まれば、女王の拉致犯だと決めつけられる。――王族の弁は絶対だからな。摂政がそう言えば、それが事実になる」
「ちょっと、待ってよ! 私だって王族だわ。私がリュイセンを弁護すれば、誤解は解けるはずよ! 何より、私は『拉致』された本人だもの!」
「いや、駄目だ。近衛隊員たちは、『陛下は『お忍び』という言葉に騙されて、誘い出された』という摂政の弁を信じている。おそらく、どこにいっても、お前より摂政の発言が優先されるだろう」
「――っ! その通りかも……」
アイリーが唇を噛んで押し黙る。
このままでは、父エルファンが危険を押して王宮に赴き、苦労して取り付けた、摂政との『互いに不干渉』の約束も反故になる。
何故なら、摂政は別れ際に、こう言ったのだから。
『鷹刀もまた、くれぐれも王家に手を出すことのなきよう、切に願います』
女王を拉致したとなれば、鷹刀一族のほうから約束を破ったことになる。――そういう理屈を展開できるようにと、摂政は企んだのだ。
「アイリー、心配するな。やるべきことは分かっている。――俺が近衛隊に捕まらずに、この場を脱すればいいだけだ。逃げ切りさえすれば、『鷹刀が拉致した、という証拠はない』と言って、突っぱねられるはずだ」
「そんな……っ、無茶苦茶だわ! 多勢に無勢なのよ! リュイセンが頼んだっていう、鷹刀からの援護の人たちも、まだ到着してないし……」
「俺の部下たちなら、すぐそこまで来ている。さっき連絡があった」
「え? あっ、なら……」
アイリーの表情が、少しだけ緩んだ。しかし、次の瞬間には、驚愕に染め上げられる。
「けど。あいつらには、ここには来るなと、これから指示を入れる」
「ええっ!? どうしてよ!?」
思わずといった体で、アイリーはリュイセンのシャツを掴み寄せる。まるで、彼を締め上げるような動作でありながら、小刻みに震える白い手は、彼を離してはなるものかと、しがみついているようでもあった。
「確かに、部下たちの援護があれば、近衛隊を蹴散らすことは可能だ。――けど、それは、どう考えても賢い判断じゃねぇ。凶賊が大挙して押し寄せれば、それだけで、鷹刀が組織的に『女王拉致』を計画していた動かぬ証拠だと、摂政は主張するだろう」
リュイセンを含め、部下たち全員が無事に逃げおおせれば、あるいは証拠不充分となるかもしれない。だが、ひとりでも逮捕者が出れば、鷹刀一族は確実に窮地に陥る。
何より、リュイセンは次期総帥として、部下たちを戦わせる相手は、他家の凶賊のみと決めている。部下たちは、リュイセンが守るべき大切な一族であり、リュイセンの手足となる駒ではないのだ。ましてや、銃を持った近衛隊員との戦闘など、もってのほかだ。
「でも、でも……っ! じゃあ、どうやって、リュイセンは逃げ切るつもりなのよ!?」
「近衛隊に出されている命令は、拉致犯を『殺せ』じゃなくて、『捕らえて、連れてこい』だ。それなら、勝機はある」
いきなり心臓に銃口を向けられるのでないのなら、初めに思いついた通り、四人の敵を倒し、脱輪した車を奪って脱出できる。
不可能ではないはずだ。
アイリーを人造湖まで連れて行くのを諦め、ここで彼女と別れてよいのであれば。
相手は拳銃を持った四人の近衛隊員。刀を頼みとする凶賊とは勝手が違う。心臓を狙われなくとも、無傷では済むまい。
負傷した身で、アイリーと出掛けるのは無理だ。早急に手当てが必要。……そのくらいの深手は、覚悟すべきだろう。
アイリーが帰るための車は、彼女の携帯端末で呼べる。できることなら、迎えが来るまで隠れて見守っていたいところだが、見つかると厄介で……。
「…………」
部下たちと連絡を取るべく、リュイセンは無言で携帯端末を繰る。
不意に。
リュイセンのシャツを握りしめたままであったアイリーが、勢いよく彼を見上げた。白金の髪がリュイセンの顎先をかすめ、青灰色の瞳が強気に煌めく。
「リュイセン! リュイセンが拉致犯だっていうのなら、私は『拉致犯を逃がす共犯者』になるわ!」
魅入られるような爛漫な笑顔と共に、幻の妙なる音色が鳴り響いた。
「何故だ……?」
リュイセンは小声で独り言ち、真理を見抜くべく、神経を研ぎ澄ませる。
そもそも――。
どうして、神殿にいるはずのアイリーが外に出ていると、摂政にバレた?
どうやって、近衛隊は、動き回るアイリーの居場所を正確に知ることができた?
リュイセンの脳裏に、次々と疑問が浮かび上がる。
そのとき、彼のポケットの中で携帯端末が振動した。
確認すると、『あと少しで、援護のための部下たちが到着します』というメッセージが入っていた。先ほどの非常事態を知らせるワンコールで急いでくれたらしく、『リュイセン様の端末の位置情報からすると、飛ばせば、ものの数分で着きます』と。
その文面を目にした瞬間、リュイセンは悟った。
――そういうことか!
舌打ちと共に、飛び出しそうになった罵声を意志の力で呑み込む。外にいる近衛隊員たちを無駄に刺激するのは、得策ではないからだ。……それでも、噛み締めた奥歯の隙間から、小さな呻きが漏れる。
「アイリーの携帯端末……! 迂闊だった……!」
ぞくりと響いた魅惑の低音に、アイリーが「え?」と、緊張の面持ちで振り返る。彼女は素早く近衛隊員たちとの会話から頭を切り替え、近すぎる距離感でリュイセンの顔を覗き込んだ。
「何があったの?」
「お前の携帯端末が、摂政に位置情報を送り続けていたんだ」
気づいてしまえば、実に単純な絡繰りだ。
リュイセンの端末が、部下たちに現在地を指し示すように、アイリーの端末が、彼女の足跡を王宮に伝えていただけ。彼女の端末情報が、庇護者である摂政に筒抜けである可能性を考慮しなかったリュイセンの失態だ。
「――っ!」
アイリーは血相を変えて、自分の端末を取り出した。位置情報の設定を無効にし、それだけでは安心できなかったのか、電源を落とす。
けれど、今更どうしようもない。端末を握りしめ、「お兄様、酷いわ!」と声を震わせる彼女に、リュイセンは怒りと苛立ちを押し殺した声で告げる。
「アイリー。非常に、まずい事態だ。――摂政に、してやられた」
リュイセンは、決して頭の回転が速いほうではない。けれど、天性の直感で、一足飛びに真理にまで辿り着く。
理屈ではない。肌が粟立つような感覚から、彼は摂政の思惑を理解した。
「鷹刀は、摂政に嵌められた」
「お兄様に嵌められた!? ――どういうことよ!?」
「いいか? 決して、お前のせいじゃないぞ?」
詰め寄るアイリーに、リュイセンは前置きをした。きょとんと首をかしげる彼女に、彼は苦い思いで言を継ぐ。
「『女王が、鷹刀の人間と一緒にいる』という状況を、摂政にうまく利用された。摂政は、『鷹刀は女王を拉致した。王家に叛意あり』として、一族を潰すつもりだ。『必ず賊を捕らえて、連れてこい』というのは、鷹刀が拉致犯だという証拠にするためだ」
「な……、何ですって――!? ……っ、ごめんなさい! 私が鷹刀のお屋敷に乗り込んでいったから……!」
「だから、お前を責めているわけじゃねぇ! ……ただ、お前の脱走が、摂政に、いい口実を与えてしまった、ってだけだ」
摂政がいつ、アイリーの脱走に気づいたのかは分からない。けれど、目的地が鷹刀一族の屋敷だと知り、すぐには連れ戻さずに泳がせたのだ。
何故なら、摂政は、鷹刀にセレイエが匿われていると信じているから。仲の良かったアイリーなら、無下に扱われることはないと踏んだ。
それどころか、アイリーなら、摂政が喉から手が出るほど欲しがっている『ライシェン』の情報を得られると考えたのだろう。あとで妹を問い詰め、聞き出すという算段を立てたに違いない。
事実、既にセレイエが亡くなっていることを除けば、その通りとなったのだから、摂政の読みは正しかったといえる。
リュイセンが屋敷の周りに異変を感じなかったのは、気配に敏い凶賊に感づかれることを恐れ、摂政が近衛隊を配置しなかったため。もとより、監視の役目なら携帯端末が担っている。
摂政が攻勢に転じるのは、アイリーが帰る段になってからでよいのだ。
賓客として丁重にもてなされたアイリーは、必ず鷹刀一族の誰かが――それも、かなりの地位にある者が送っていく。そのときになって初めて近衛隊を出動させ、鷹刀の者を『女王拉致』の現行犯で捕らえればよいだけだ。
「今ここで、俺が近衛隊に捕まれば、女王の拉致犯だと決めつけられる。――王族の弁は絶対だからな。摂政がそう言えば、それが事実になる」
「ちょっと、待ってよ! 私だって王族だわ。私がリュイセンを弁護すれば、誤解は解けるはずよ! 何より、私は『拉致』された本人だもの!」
「いや、駄目だ。近衛隊員たちは、『陛下は『お忍び』という言葉に騙されて、誘い出された』という摂政の弁を信じている。おそらく、どこにいっても、お前より摂政の発言が優先されるだろう」
「――っ! その通りかも……」
アイリーが唇を噛んで押し黙る。
このままでは、父エルファンが危険を押して王宮に赴き、苦労して取り付けた、摂政との『互いに不干渉』の約束も反故になる。
何故なら、摂政は別れ際に、こう言ったのだから。
『鷹刀もまた、くれぐれも王家に手を出すことのなきよう、切に願います』
女王を拉致したとなれば、鷹刀一族のほうから約束を破ったことになる。――そういう理屈を展開できるようにと、摂政は企んだのだ。
「アイリー、心配するな。やるべきことは分かっている。――俺が近衛隊に捕まらずに、この場を脱すればいいだけだ。逃げ切りさえすれば、『鷹刀が拉致した、という証拠はない』と言って、突っぱねられるはずだ」
「そんな……っ、無茶苦茶だわ! 多勢に無勢なのよ! リュイセンが頼んだっていう、鷹刀からの援護の人たちも、まだ到着してないし……」
「俺の部下たちなら、すぐそこまで来ている。さっき連絡があった」
「え? あっ、なら……」
アイリーの表情が、少しだけ緩んだ。しかし、次の瞬間には、驚愕に染め上げられる。
「けど。あいつらには、ここには来るなと、これから指示を入れる」
「ええっ!? どうしてよ!?」
思わずといった体で、アイリーはリュイセンのシャツを掴み寄せる。まるで、彼を締め上げるような動作でありながら、小刻みに震える白い手は、彼を離してはなるものかと、しがみついているようでもあった。
「確かに、部下たちの援護があれば、近衛隊を蹴散らすことは可能だ。――けど、それは、どう考えても賢い判断じゃねぇ。凶賊が大挙して押し寄せれば、それだけで、鷹刀が組織的に『女王拉致』を計画していた動かぬ証拠だと、摂政は主張するだろう」
リュイセンを含め、部下たち全員が無事に逃げおおせれば、あるいは証拠不充分となるかもしれない。だが、ひとりでも逮捕者が出れば、鷹刀一族は確実に窮地に陥る。
何より、リュイセンは次期総帥として、部下たちを戦わせる相手は、他家の凶賊のみと決めている。部下たちは、リュイセンが守るべき大切な一族であり、リュイセンの手足となる駒ではないのだ。ましてや、銃を持った近衛隊員との戦闘など、もってのほかだ。
「でも、でも……っ! じゃあ、どうやって、リュイセンは逃げ切るつもりなのよ!?」
「近衛隊に出されている命令は、拉致犯を『殺せ』じゃなくて、『捕らえて、連れてこい』だ。それなら、勝機はある」
いきなり心臓に銃口を向けられるのでないのなら、初めに思いついた通り、四人の敵を倒し、脱輪した車を奪って脱出できる。
不可能ではないはずだ。
アイリーを人造湖まで連れて行くのを諦め、ここで彼女と別れてよいのであれば。
相手は拳銃を持った四人の近衛隊員。刀を頼みとする凶賊とは勝手が違う。心臓を狙われなくとも、無傷では済むまい。
負傷した身で、アイリーと出掛けるのは無理だ。早急に手当てが必要。……そのくらいの深手は、覚悟すべきだろう。
アイリーが帰るための車は、彼女の携帯端末で呼べる。できることなら、迎えが来るまで隠れて見守っていたいところだが、見つかると厄介で……。
「…………」
部下たちと連絡を取るべく、リュイセンは無言で携帯端末を繰る。
不意に。
リュイセンのシャツを握りしめたままであったアイリーが、勢いよく彼を見上げた。白金の髪がリュイセンの顎先をかすめ、青灰色の瞳が強気に煌めく。
「リュイセン! リュイセンが拉致犯だっていうのなら、私は『拉致犯を逃がす共犯者』になるわ!」
魅入られるような爛漫な笑顔と共に、幻の妙なる音色が鳴り響いた。