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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
5.千波万波の帰り道-3
 不審な男の弾丸が、リュイセンの車のタイヤを貫通した。

 目視で確認しなくとも、音と振動から、空気の抜けていく事実さまが伝わってくる。

 車の外では、タイヤを撃った男が身振り手振りで、どこかに合図を送っている様子だった。やがて、少し離れたところから、バタンという扉の開閉音が聞こえてくる。複数の人間の気配が近づいてきたことから察するに、脱輪したあの車に仲間が隠れていたらしい。

 神経を張り巡らせ、リュイセンは敵の人数を数える。

 ――二、三……、……合わせて四人か。

 一騎当千の猛者である彼にとって、決して多い数ではない。しかし、アイリーを守りながらである上に、相手は銃を扱う。刀を主とした、肉体を頼みにする凶賊ダリジィンとは勝手が違う。……こんなときにも、凶賊ダリジィンは時代遅れなのだと痛感する。

「アイリー」

 銃撃から守るために覆いかぶさった姿勢のまま、リュイセンは彼女の耳元で囁いた。

「すまん。銃を持ち出してきた以上、奴らの狙いは鷹刀一族次期総帥ではなく、大華王国女王お前のほうだ」

 アイリーの肩が、びくりと動いた。白金の髪が波打つさまを、リュイセンは切なげに見つめ、それから努めて事務的に告げる。

「この車は捨てる。外にいる奴らを倒して、奴らの車を奪う。脱輪したタイヤを上げるのは手間だが、この車をスペアタイヤに替えるよりは早いだろう。片が付くまで、お前は身を伏せていてくれ」

「リュイセン……」

「安心しろ。必ず守る」

 軽く口の端を上げた笑みを最後に、リュイセンの顔から表情が消えた。彫像の美貌を閃かせ、彼は感覚を研ぎ澄ませる。

 一対四だ。

 先ほど、鷹刀一族の屋敷に連絡を入れたときに、万一のときの援護は要請してある。しかし、まだ、この場に到着していない。

 だから、この身ひとつで切り抜ける。

 リュイセンは体を起こし、素早く携帯端末を操作して、執務室の電話をワンコールだけ鳴らした。これで、鷹刀一族に非常事態が伝わる。予定外の行動を起こすことへの断りだ。

 彼は、足元に横たえておいた双刀を手にする。頼もしい愛刀であるが、今日ばかりは役に立ってほしくなかったと思う。

 臨戦態勢を整えるリュイセンに、アイリーが声を上げた。

「待って、リュイセン。どうして敵は、わざわざ、この車を止めてからタイヤを撃ったの?」

「え?」

 硬い顔でありながらも、意外なほどに、しっかりとした口調だった。銃声に驚き、脅えているものとばかり思っていたリュイセンは、強気な青灰色の瞳に虚をかれる。

「リュイセンが車を止めなかったら、あの男は轢き殺されてしまったかもしれないのよ? それよりも、この車の走行中に、問答無用でタイヤを撃てばよかったんじゃない?」

「っ!? ――確かにそうだ……」

 息を呑んだ彼に、彼女は言葉を重ねる。

「私は前に、乗っている車のタイヤを撃たれたことがあるわ。私を亡き者にしたい敵は、本当に容赦なく撃ってくるの」

「なっ……!?」

 リュイセンは知れず唇を噛み、アイリーを凝視した。

 彼の住む世界が、平穏だとは言わない。

 けれど、彼女の世界は、きらびやかでありながらも、もっと……。

 車体を隔てたすぐ外側に敵がいるにも関わらず、リュイセンは危うく思考を飛ばしそうになった。それを引き止めたのは、他ならぬ、彼をこの状況に陥らせたアイリーの言葉であった。

「――だからね。この状況からすると、敵の目的は、私を『殺す』ことじゃなくて、『捕まえる』ことだと思うの。それなら、ここはおとなしく私が車を降りるわ」

「お前、何を言って!?」

「だって、リュイセンに危険なことをしてほしくないんだもの! 敵の目的が私なら、邪魔なリュイセンは、車から降りようとした瞬間に射殺ズドンでしょう!?」

「――っ」

 リュイセンは声を詰まらせた。

 確かに、銃を持った複数の敵を相手に、リュイセンがひとりで対峙する策は無謀だったかもしれない。しかし、アイリーを危険に晒すのは、もってのほかだ。

 ならば、こちらに向かっている部下たちが到着するまで、この車の中で籠城するのが正解だろう。

 誇り高き凶賊ダリジィンとしては、こんな屈辱的な追い詰められ方をされたなら、打って出るのが正道であるが、彼女の安全のためになら、そこを曲げることもやぶさかでない。

 そんな思案をする彼の横で、かちりと小さな音が鳴る。

 はっと、視線を移せば、アイリーがシートベルトを外していた。

「初めてのドライブ、とても楽しかったわ。我儘をきいてくれて、凄く嬉しかったの!」

 彼女は、強がりの笑顔をぐっと近づけた。リュイセンの耳元に「ありがとう」という言葉を残し、ぱっと身を翻す。

 白金の髪が、リュイセンの鼻先をかすめる。

 耳朶に残る感触は、湿り気を帯びた吐息によるものか、それとも、潤いに満ちた唇か――。

「待て! 早まるな!」

 重すぎる荷を背負った華奢な双肩に、リュイセンは神速で手を伸ばした。

「きゃぁっ」

 力強く掴まれた衝撃に、アイリーが高い声を上げる。

 悲鳴ですら、まるで、天界の琴を弾いたかのように美しい。――その響きが与える印象そのものの、細く儚げな肢体を、彼は胸元に引き寄せる。

「馬鹿な真似をするな! 俺が『守る』と言ったからには、必ず守る。俺は、口にしたことを決してたがえない!」

「リュイセン……、で、でも……」

 腕の中で、アイリーがぼそぼそと呟いた。先天性白皮症アルビノの白い肌が、さぁっと朱に染まっていく。

 実のところ……。

 扉は施錠ロックされているため、彼女が車外に飛び出すことは不可能であった。けれど、そんな事実ことはリュイセンの頭からすっかり抜け落ち、彼の体は無意識に動いていた。

 リュイセンは身内にはあついが、縁のない者――特に上流階級の人間に対しては、冷淡な一面を持っている。貴族シャトーアだったメイシアが舞い込んできた当初などが、よい例だ。しかし、この国の頂点に座する女王は、いつの間にか、彼のふところ深くに入り込んでいたようだった。

 ふと、そのとき――。

 車外から、男たちのざわめきが聞こえてきた。

「陛下の悲鳴が聞こえたぞ!?」

「ただちに、お助けせねば……!」

 色めきだつ空気に、アイリーが、はっと顔色を変えた。リュイセンの腕から飛び出し、車窓に張り付くようにして尋ねる。

「あなたたち、ひょっとして近衛隊!?」

 彼女の言葉に、リュイセンは目を見開いた。しかし、驚いたのは彼だけではなかった。

「陛下!?」

「ご無事で!?」

「拘束されてらっしゃらないのですか!?」

 口々に上がる、男たちの困惑と安堵の声。

 いくらスモークガラスの窓とはいえ、安全運転のために、ある程度の透過率は確保してある。そのため、すぐそばにまで近づいたアイリーの姿を視認できたらしい。

「ちょ、ちょっと!? なんで、私が拘束されなければならないのよ!?」

「『陛下が賊に拉致された』と、摂政殿下が……」

「お兄様が!?」

「は、はい。『速やかに、陛下をお救いせよ。また、賊は必ず捕らえ、我がもとに連れてくるように』とのめいでございま……」

「何を言っているのよ! 私は拉致されてなんかいないわ! お忍びで出掛けただけよ!」

 近衛隊員の言葉を遮り、アイリーは白金の眉を逆立てる。堂々と『お忍び』を口にするのは如何いかがなものかと思うが、見つかってしまったのであれば開き直るのも一案といえよう。

 リュイセンがそう思った矢先、扉の向こうから、近衛隊員たちの囁き交わす声が届いた。

「摂政殿下が危惧されていた通りだ」

「『お忍び』という言葉で、誘い出されたに違いないと」

「やはり、陛下は騙されてらっしゃった」

 声量を抑えているつもりのようであるが、感覚に優れたリュイセンの耳は、しかと捉えた。アイリーが言いそうなことなど、お見通し――といった摂政の態度に、彼は渋面を作る。

 一方、アイリーは青灰色の瞳をとがらせ、近衛隊員たちに問いかける。

「それより、何故、私が乗っている車を襲ったの!?」

「『襲う』など、滅相もございません! 手荒であったことには申し開きをいたしませんが、これも陛下の御身のためで……」

「どこが私のためよ!?」

 間髪をれずに、アイリーが噛みつく。綺羅の美貌が、憤怒に震える。だが、近衛隊も負けじと答えた。

「賊は、我々、近衛隊に追われていると気づけば、陛下に危害を及ぼすことでしょう。なれば、我々は身分を悟られるわけにはまいりません。賊が鷹刀一族の者であることは、摂政殿下から聞き及んでおりますので、血気盛んな凶賊ダリジィンなら、目の前に無頼漢ならず者が現れれば、必ずや挑発に乗って自ら車を降りてくるだろう、と愚考いたしました」

 ……なるほど。

 女王とは無関係の抗争トラブルが起きたと思わせて車から下ろそう、という魂胆だったらしい。それで近衛隊の制服ではなく、私服を着ているのだろう。

 凶賊ダリジィンとは、すなわち凶悪なものであるという判で押したような偏見に、リュイセンは不快げに眉を寄せる。他家よそ凶賊ダリジィンならいざ知らず、鷹刀一族は高潔であることを誇りとしているのだ。

 だいたい、近衛隊が主君を怖がらせるような策を採るべきではないだろう。万が一にも女王アイリーが怪我をしたら、どうするつもりだったのだろうか。

「……ん?」

 リュイセンの野生の勘が警鐘を鳴らした。



 摂政は何故、『賊』が『鷹刀一族の者』だと知っていた?

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