▼詳細検索を開く
作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
5.千波万波の帰り道-2
「怖がらせて悪かったな」

 追跡を警戒し、リュイセンは、しばらく人気ひとけのない道を選んで車を飛ばしていたが、そろそろ良いだろうとスピードを落とした。

「ううん。――リュイセンこそ、大変だったでしょう? どうもありがとう!」

 アイリーは、ぐるっと半身を真横に向けた。しっかりと締められたシートベルトが、ぐいっと伸ばされ、天真爛漫な笑顔がリュイセンの視界に入り込んでくる。

 軽やかな声は、心からの感謝で満たされており、怖い思いをしたにも関わらず、どこか楽しげでもあった。うまく逃げ切れたことで、いたずらに成功した子供のように、高揚した気分になっているのかもしれない。

 きらきらと輝く無垢な瞳に惹き込まれそうになり、リュイセンは慌てて運転に集中した。

「いったい、何者だったんだろうな」

 気持ちを引き締め、リュイセンは呟く。

 謎の敵が現れたからには、人造湖に行くのは諦めるべきだろう。一刻も早く、アイリーを神殿に送り届けるべきだ。

 彼女が落胆する顔は、見たくない。……だが、仕方ないのだ。

 リュイセンは、苦々しげに顔をしかめた。胸の中に、もやもやと不快感が漂う。

 一方、彼の内心を知らぬアイリーは、ふうっと大きな溜め息をついた。

「『女王様』をやっていると、時々、襲撃者ああいうのに遭うよのよね」

「そうなのか……?」

 あっさりと告げられた事実に、リュイセンは愕然とした。アイリーは、好きで女王をやっているわけではない。狙われるのは不本意のはずだ。

「もともと刺客は、たまに来たけれど、私の婚約が発表されてから、特に頻繁になったわ。唯一の〈神の御子〉となった私に何かあれば、王家は自然に途絶える。だけど、私が結婚して〈神の御子〉が生まれたら……って、焦り始めたんでしょうね」

 強い口調とは裏腹に、華奢な肩は儚げで。リュイセンは理不尽を覚える。

 彼女の持つ『王』という肩書きほど強力ではないが、彼だって『鷹刀一族の次期総帥』の座にある以上、危険に晒されることはある。だが、彼は、自ら望んで『最後の総帥』になると決めたのだ。事情が違うだろう。

 そこまで考えて、リュイセンは、はっと気づいた。

 先ほどの不穏な輩たちは、女王アイリーがこの車に乗っていることを、どうして知り得たのか。

 ……狙われていたのは、本当に女王アイリーだったのか。

 彼女が鷹刀一族の屋敷を訪れたときには、門の周りに不審な人物はいなかった。そして、屋敷を発つときには、敷地内の車庫から車に乗り込んだので、彼女の姿が見られることはなかったはずだ。

「すまん。襲撃者今のは俺のほうの客だったかもしれない」

「そうなの……?」

 アイリーが、きょとんと首をかしげる。

 奴らの目的が、猛者と名高い『鷹刀一族の次期総帥』なら、二度目の襲撃の可能性は低い。警戒している彼を襲っても、勝ち目がないからだ。――などという屁理屈が、リュイセンの頭に浮かぶ。

 ……自分は、どんな理由をつけてでも、彼女を人造湖まで連れて行ってあげたいのだ。

 そう自覚して、リュイセンは車を道端に停めた。

「リュイセン?」

「襲撃に遭ったことを鷹刀に連絡して、万一のときの援護を頼む」

 余計な寄り道はすべきではないと、百も承知だ。それでも行くからには、保険くらいは掛けておく。

 リュイセンはふところから携帯端末を取り出した。

 音声通話は傍受されやすい。なるべく避けるようにと、ルイフォンに言われている。その代わり、リュイセンの端末からのメッセージは、弟分の細工によって自動的に暗号化され、安心な通信となるのだ。

 教えられた通りにメッセージ機能で屋敷と連絡を取り、リュイセンは再びハンドルを握る。あとは、こちらが動き回っても、携帯端末の位置情報で見つけてくれるはずだ。

「それじゃあ、人造湖に行くぞ!」

「リュイセン!? いいの!?」

 信じられない、とばかりに、青灰色の瞳が大きく見開かれる。どうやら、ドライブは中止になったと考えていたようだ。

 幼さを感じる無邪気な言動をするくせに、彼女は時々、妙に物分りがよい。……諦めることに慣れているのだ。

「約束しただろう? 綺麗な景色の中をドライブする、って」

 リュイセンが魅惑の低音を響かせると、「ありがとう」と白蓮の花が咲きほころんだ。



 しかし――。



 人造湖のある山が見えてきたあたりで、一台の車が停まっていた。

 タイヤが側溝に落ちたらしく、男がひとり、車外に降りて、手で持ち上げようと四苦八苦している。けれど、力が足りないらしく、如何いかにも困っている様子が見て取れた。

 誰か手伝ってほしいと、男の背中が訴えている。けれど、『穴場の絶景スポット』の近くであるためか、リュイセンたち以外の車は見当たらない。

 リュイセンの直感が告げる。

 敵だ――と。

 先ほどの輩とは別の車だ。だが、奴らの一味だと確信した。

 リュイセンの車を挟み込んだ二台は、よく連携の取れた、組織立った動きをしていた。ならば、他にも仲間がいたとしてもおかしくないのだ。

 道幅は広くはないが、すれ違えないほど狭くはない。無視して通り抜けるのが正解だろう。

 傍らを見れば、アイリーが緊張の面持ちをしていた。彼女もまた、あの車を不審に思っているのだ。

 このタイミングでトラブルに遭遇するとは、あまりにもできすぎている。

 ……まるで、先回りをされていたかのようだ。

「アイリー、このまま行くぞ」

「うん、分かっているわ」

 ふたりが短く言葉を交わしたときだった。

 車を持ち上げようとしていた男が、大きく手を振りながらリュイセンの車線上に現れ、行く手をふさいだ。

「おおい、すまん。手伝ってくれ!」

「!」

 まさか轢き殺すわけにもいくまい。リュイセンは慌てて急ブレーキをかける。

 アスファルトとタイヤが激しい金切り声を上げ、リュイセンの車は止まった。――停止してしまった。

 リュイセンの全身から、冷や汗が流れ落ちる。

 だが、止まるしかなかった。他の選択肢はなかった。

「タイヤが落ちて困っている。すまん、手を貸してくれ!」

 男が近づいてきて、がなり声を上げる。

「悪いが、先を急いでいるんだ」

 早まる鼓動を押さえ、リュイセンは苛立ちの演技で答えた。

「そう言わずに、ちょっと降りてきてくれよ」

「こちらには、こちらの都合がある」

 喰い下がる男を、リュイセンは突っぱねる。

 車を降りれば、相手が攻撃してくるのは必至だ。彼ひとりであれば、どうにでも対処できる。しかし、すぐそばには、アイリーがいるのだ。

「そうか。では仕方ない。強硬手段を取らせてもらおう」

 スモークガラス越しに見える男は、これといった特徴のない、平凡な顔と中肉中背の持ち主だった。しかし、雰囲気から、明らかに一般人ではない。

 その証拠に、眉ひとつ動かさず、無造作にふところから取り出したものは……。

 ――拳銃!?

 リュイセンは息を呑んだ。

 凶賊ダリジィンとは、おのれの肉体で戦うものだ。『鷹刀一族の次期総帥』の命を取るのに銃などを使えば、栄誉どころか恥さらしだ。

 つまり、相手は他家よそ凶賊ダリジィンではなく、女王アイリーを狙った刺客――!

 その刹那。

 銃声が、鳴り響く――!

「――!」

 リュイセンは、アイリーに覆いかぶさるようにして頭を伏せた。

 この車は、凶賊ダリジィンである鷹刀一族の所有物ものだ。窓は防弾ガラスになっている。多少のことで傷つくことはない。

 案の定、リュイセンも、アイリーも無事である。

 ……しかし。

 異変は、座席の下で起こっていた。足元に違和感を覚え、彼は気づく。

「っ! やられた!」

 男の放った弾丸は、タイヤを撃ち抜いたのだ。車を無効化し、リュイセンたちが外に降りざるを得なくするために――。

Twitter