残酷な描写あり
3.庭園迷路の囚人-1
燦然と輝く、白亜の王宮。
その上階の窓辺に、ハオリュウは佇む。
眼下には、美しく刈り込まれた生け垣による、壮麗な庭園迷路が広がっていた。
濃い緑の色合いに、どのような植物を用いているのか、この高さからでは判別できない。しかし、芸術的なまでに無機質に、正確無比な幾何学模様を描くのであれば、樹木に名など要らぬであろう。
蝉の歌声の止み間に、蟋蟀の間奏の流れる、この時節。花を咲かせる樹は意外に少ないという。故に、この庭園の設計者は、季節を問わず、常に変わらぬ王威を演出すべく、花を魅せるよりも、技工を凝らすことを選んだらしい。
もっとも、四季折々で表情を変える藤咲家の庭では、開花時期の長い百日紅の花が、今も季節の移ろいを優しく見守っているのであるが。
――迷路と呼ぶほどの複雑さもないな。
ハオリュウは、冷ややかに目を眇めた。
こうして俯瞰すれば、ごく単純な、ただの紋様だ。まるで、今回の彼の逮捕劇のように。
ぎりっ、と奥歯を噛み、ハオリュウは眉間に皺を寄せた。こんなときでも折り目正しく、スーツを着込んでくるような彼でなければ、忌々しげに舌打ちをしていたことだろう。
「ふざけたことを……!」
すっかり低くなった声で、彼は怒気を吐き出す。
摂政カイウォルは、異母姉メイシアが生きていることを知っている。ならば、冤罪と分かり切っている『父と異母姉の殺害』という罪状は、ハオリュウに罪を着せるためではない。彼を人質に、異母姉から『ライシェン』の隠し場所を聞き出すためのものだ。
あるいは、もっと直接的に、ハオリュウと『ライシェン』の交換を要求する肚か。
「姉様をなんだと思っているんだ……!」
最愛の異母姉には幸せになって欲しいからこそ、ハオリュウは苦労して『渓谷の事故』を作り上げ、ルイフォンのもとに『嫁がせた』。
来春、父の喪が明けるのを待って、結婚式も挙げる。
そのための花嫁衣装だって、手配した。
実のところ、ルイフォンが婚姻開始年齢に達していないので、戸籍上の結婚にはまだ早いのであるが、そもそも『死者』の異母姉に戸籍はない。しからば、めでたい挙式の先取りくらいよいだろうと考えたのだ。
ハオリュウは、異母姉の晴れ姿を非常に楽しみにしている。歪んだ形かもしれないが、『渓谷の事故』は、ハオリュウの心からの祝福だった。
それなのに。
あの事故を利用された。
「姉様を外道のあばずれにする気か!?」
異母姉は、平民に懸想した挙げ句、自死を選んだことになっている。しかも、彼女が原因で、父親まで亡くなったという設定だ。それが、実は生きていて、恋人と仲睦まじく暮らしていたとなれば、とんだ醜聞である。
ハオリュウは拳を握りしめ、壁に打ち付けた。反動で、窓硝子が脅えたように震える。
白眼視されると分かっていても、異母姉は間違いなく、王宮に姿を表す。そして、異母弟の無罪を訴えるだろう。
「――っ!」
異母姉を『死者』にした、過去の自分をハオリュウは呪う。
貴族と平民の婚姻は、禁止されているわけではない。現に、ハオリュウの父は貴族で、母は平民だ。
ハオリュウの両親とは逆に、貴族の娘が、平民の男に嫁ぐことだってある。多くの場合、没落した貴族が、裕福な平民に、金銭的な援助を目的として縁を結ぶのであるが、ともあれ、身分違いの婚姻は皆無ではないのだ。
だから、異母姉から初めて、ふたりの仲を告白されたときには、ルイフォンが婚姻開始年齢を迎えるまで、実家で花嫁修業でもしていればよいと思った。一時の想いなら、その間に冷めるだろう、と。
けれど、父が〈影〉にされていたことが判明した。〈影〉はハオリュウの命を狙い、異母姉を人質に悪行の限りを尽くそうとした。
そして。
自分たち姉弟を守るため、父の魂を救うため。
ルイフォンが毒刃で、父を殺した。
「…………」
父の死因を偽る必要があった。
父が亡くなり、空席となった藤咲家の当主の座を、確実に手に入れる必要があった。さもなくば、年少の後継者を廃し、妙齢の異母姉に婿を取ろうとする動きが出てくるであろうから。
……何よりも。
すべての責任を負おうとしたルイフォンと、彼を追いかけていった異母姉を引き離すなんて、できるわけがなかった。
『渓谷の事故』は、あの時点での最善の選択のはずだった。
「畜生……」
ハオリュウに力があったなら、異母姉を『死者』にすることはなかった。別の手段を取ることもできたはずだ。
腹の底から沸き立つ怒りは、『渓谷の事故』を悪用したカイウォルに向けられたものか。それとも、不甲斐ない自分に対するものか。
――自由の翼を手に入れた異母姉を、貴族の籠に戻してはならない。
瞳を尖らせ、ハオリュウは緑の庭園迷路を睥睨する。
カイウォルの用意した道筋を、素直に歩いてやる義理などない。
必要な出口は、この手で作り出せばよいのだ――。
カイウォルがハオリュウのもとを訪れたのは、逮捕から丸一日ほど経った、翌日の昼過ぎのことであった。
「もっと早くに、君のところに来たかったのですが、政務が滞っていましてね」
今まで、誰かと面会していたのだろう。謁見の間で焚かれる香の匂いが、言い訳がましく、ふわりと漂った。
伏し目がちな美貌は、ややもすると申し訳なさそうな印象を与えるが、上辺だけのものだ。後回しにしたのなら、その程度の優先順位だったというだけだ。あるいは、ハオリュウを長時間、外界から隔絶することで、彼の精神に負荷を掛けようとしたのか。
もっとも、カイウォルにとって、ハオリュウは『ライシェン』を手に入れるための駒にすぎない。身柄さえ掌中に収めてしまえば、ハオリュウ個人に用はないのだ。そう考えれば、わざわざ部屋に顔を出したのは、カイウォルなりの誠意かもしれなかった。
さておき――。
ハオリュウは、ぐっと眉を内に寄せ、困惑顔を作った。
肩を丸め、前よりも伸びた背を小さく見せる。少年らしい利発さに、あどけなさの残る面差しを重ね、テーブルの向こうのカイウォルを見上げる。
「摂政殿下の多忙は承知しております。ですが、身に覚えのない罪で拘束された件に関しましては、承服いたしかねます」
臣下としての礼を欠くことはなく、さりとて、批難を口にしていないわけではなく――むしろ、台詞の上では立派に憤慨している。しかし、父親譲りの凡庸ながらも誠実そうな相貌に、少年ならではの儚さが加われば、謂れなき罪に問われた憐れすら漂う。
普通の者であれば、思わず手を差し伸べたくなるような様相は、平民を母に持つハオリュウが、上流階級を生き抜くために身につけてきた処世術だ。
ただし、彼を囚えた張本人であるカイウォルには、正しく抗議と伝わったようで、すっと通った鼻筋に、わずかに皺が寄る。
別にそれでよい。ハオリュウは、カイウォルと馴れ合うつもりはない。
「君は……相変わらずですね」
雅やかな苦笑と共に、カイウォルは奈落のような瞳を細めた。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』
そんな文言で謳われる摂政の重力に、この年若い貴族の当主は決して呑み込まれない。たった十二歳でありながら、他に類を見ない胆力に、カイウォルは内心で賞賛を送る。――勿論、本人の与り知らぬことであるが。
もしも歳が近ければ、カイウォルは間違いなく、ハオリュウを遠ざけただろう。しかし、ひと回り以上も年下となれば、好奇心のほうが勝る。穏やかな見た目とは裏腹の、激しい気性の持ち主とあらば、なおのこと興味は尽きない。
実のところ、カイウォルは嘘偽りなく、ハオリュウを腹心に欲しいと思っていた。しかし、これまでに散々、ハオリュウの逆鱗に触れてきたことを顧みれば、そんな望みは叶うべくもないのである。
「心配しなくとも、君の無実が証明されれば、すぐに解放しますよ」
蠱惑の旋律を響かせ、カイウォルは緩やかに口の端を上げる。今は、メイシアが出てくるのを待つ段だと言ったのだ。
――そうはさせるか。
異母姉は、義兄の傍を離れてはならない。
ハオリュウは純心な少年の顔で首をかしげ、カイウォルの言葉尻を捕らえる。
「いったい誰が、私の無実を証明してくれるというのでしょうか?」
刹那、カイウォルの微笑が途切れた。
ハオリュウが攻勢に転じたことに、気づいたのだ。
「そうでしたね。君にしてみれば、姉君が表に出てくることは忌避すべき事態、というわけですね」
「ええ。異母姉は既に亡くなっておりますので、出てきてもらっては困るのです」
すっと踏み込んできた、カイウォルの問い。対して、答えるハオリュウは、しなやかな絹布の如くに、さらりと。
今まで、カイウォルとハオリュウは、互いにメイシアの生存を承知しながらも、素知らぬふりを通してきた。
その不文律が、たった今、破られた。
その上階の窓辺に、ハオリュウは佇む。
眼下には、美しく刈り込まれた生け垣による、壮麗な庭園迷路が広がっていた。
濃い緑の色合いに、どのような植物を用いているのか、この高さからでは判別できない。しかし、芸術的なまでに無機質に、正確無比な幾何学模様を描くのであれば、樹木に名など要らぬであろう。
蝉の歌声の止み間に、蟋蟀の間奏の流れる、この時節。花を咲かせる樹は意外に少ないという。故に、この庭園の設計者は、季節を問わず、常に変わらぬ王威を演出すべく、花を魅せるよりも、技工を凝らすことを選んだらしい。
もっとも、四季折々で表情を変える藤咲家の庭では、開花時期の長い百日紅の花が、今も季節の移ろいを優しく見守っているのであるが。
――迷路と呼ぶほどの複雑さもないな。
ハオリュウは、冷ややかに目を眇めた。
こうして俯瞰すれば、ごく単純な、ただの紋様だ。まるで、今回の彼の逮捕劇のように。
ぎりっ、と奥歯を噛み、ハオリュウは眉間に皺を寄せた。こんなときでも折り目正しく、スーツを着込んでくるような彼でなければ、忌々しげに舌打ちをしていたことだろう。
「ふざけたことを……!」
すっかり低くなった声で、彼は怒気を吐き出す。
摂政カイウォルは、異母姉メイシアが生きていることを知っている。ならば、冤罪と分かり切っている『父と異母姉の殺害』という罪状は、ハオリュウに罪を着せるためではない。彼を人質に、異母姉から『ライシェン』の隠し場所を聞き出すためのものだ。
あるいは、もっと直接的に、ハオリュウと『ライシェン』の交換を要求する肚か。
「姉様をなんだと思っているんだ……!」
最愛の異母姉には幸せになって欲しいからこそ、ハオリュウは苦労して『渓谷の事故』を作り上げ、ルイフォンのもとに『嫁がせた』。
来春、父の喪が明けるのを待って、結婚式も挙げる。
そのための花嫁衣装だって、手配した。
実のところ、ルイフォンが婚姻開始年齢に達していないので、戸籍上の結婚にはまだ早いのであるが、そもそも『死者』の異母姉に戸籍はない。しからば、めでたい挙式の先取りくらいよいだろうと考えたのだ。
ハオリュウは、異母姉の晴れ姿を非常に楽しみにしている。歪んだ形かもしれないが、『渓谷の事故』は、ハオリュウの心からの祝福だった。
それなのに。
あの事故を利用された。
「姉様を外道のあばずれにする気か!?」
異母姉は、平民に懸想した挙げ句、自死を選んだことになっている。しかも、彼女が原因で、父親まで亡くなったという設定だ。それが、実は生きていて、恋人と仲睦まじく暮らしていたとなれば、とんだ醜聞である。
ハオリュウは拳を握りしめ、壁に打ち付けた。反動で、窓硝子が脅えたように震える。
白眼視されると分かっていても、異母姉は間違いなく、王宮に姿を表す。そして、異母弟の無罪を訴えるだろう。
「――っ!」
異母姉を『死者』にした、過去の自分をハオリュウは呪う。
貴族と平民の婚姻は、禁止されているわけではない。現に、ハオリュウの父は貴族で、母は平民だ。
ハオリュウの両親とは逆に、貴族の娘が、平民の男に嫁ぐことだってある。多くの場合、没落した貴族が、裕福な平民に、金銭的な援助を目的として縁を結ぶのであるが、ともあれ、身分違いの婚姻は皆無ではないのだ。
だから、異母姉から初めて、ふたりの仲を告白されたときには、ルイフォンが婚姻開始年齢を迎えるまで、実家で花嫁修業でもしていればよいと思った。一時の想いなら、その間に冷めるだろう、と。
けれど、父が〈影〉にされていたことが判明した。〈影〉はハオリュウの命を狙い、異母姉を人質に悪行の限りを尽くそうとした。
そして。
自分たち姉弟を守るため、父の魂を救うため。
ルイフォンが毒刃で、父を殺した。
「…………」
父の死因を偽る必要があった。
父が亡くなり、空席となった藤咲家の当主の座を、確実に手に入れる必要があった。さもなくば、年少の後継者を廃し、妙齢の異母姉に婿を取ろうとする動きが出てくるであろうから。
……何よりも。
すべての責任を負おうとしたルイフォンと、彼を追いかけていった異母姉を引き離すなんて、できるわけがなかった。
『渓谷の事故』は、あの時点での最善の選択のはずだった。
「畜生……」
ハオリュウに力があったなら、異母姉を『死者』にすることはなかった。別の手段を取ることもできたはずだ。
腹の底から沸き立つ怒りは、『渓谷の事故』を悪用したカイウォルに向けられたものか。それとも、不甲斐ない自分に対するものか。
――自由の翼を手に入れた異母姉を、貴族の籠に戻してはならない。
瞳を尖らせ、ハオリュウは緑の庭園迷路を睥睨する。
カイウォルの用意した道筋を、素直に歩いてやる義理などない。
必要な出口は、この手で作り出せばよいのだ――。
カイウォルがハオリュウのもとを訪れたのは、逮捕から丸一日ほど経った、翌日の昼過ぎのことであった。
「もっと早くに、君のところに来たかったのですが、政務が滞っていましてね」
今まで、誰かと面会していたのだろう。謁見の間で焚かれる香の匂いが、言い訳がましく、ふわりと漂った。
伏し目がちな美貌は、ややもすると申し訳なさそうな印象を与えるが、上辺だけのものだ。後回しにしたのなら、その程度の優先順位だったというだけだ。あるいは、ハオリュウを長時間、外界から隔絶することで、彼の精神に負荷を掛けようとしたのか。
もっとも、カイウォルにとって、ハオリュウは『ライシェン』を手に入れるための駒にすぎない。身柄さえ掌中に収めてしまえば、ハオリュウ個人に用はないのだ。そう考えれば、わざわざ部屋に顔を出したのは、カイウォルなりの誠意かもしれなかった。
さておき――。
ハオリュウは、ぐっと眉を内に寄せ、困惑顔を作った。
肩を丸め、前よりも伸びた背を小さく見せる。少年らしい利発さに、あどけなさの残る面差しを重ね、テーブルの向こうのカイウォルを見上げる。
「摂政殿下の多忙は承知しております。ですが、身に覚えのない罪で拘束された件に関しましては、承服いたしかねます」
臣下としての礼を欠くことはなく、さりとて、批難を口にしていないわけではなく――むしろ、台詞の上では立派に憤慨している。しかし、父親譲りの凡庸ながらも誠実そうな相貌に、少年ならではの儚さが加われば、謂れなき罪に問われた憐れすら漂う。
普通の者であれば、思わず手を差し伸べたくなるような様相は、平民を母に持つハオリュウが、上流階級を生き抜くために身につけてきた処世術だ。
ただし、彼を囚えた張本人であるカイウォルには、正しく抗議と伝わったようで、すっと通った鼻筋に、わずかに皺が寄る。
別にそれでよい。ハオリュウは、カイウォルと馴れ合うつもりはない。
「君は……相変わらずですね」
雅やかな苦笑と共に、カイウォルは奈落のような瞳を細めた。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』
そんな文言で謳われる摂政の重力に、この年若い貴族の当主は決して呑み込まれない。たった十二歳でありながら、他に類を見ない胆力に、カイウォルは内心で賞賛を送る。――勿論、本人の与り知らぬことであるが。
もしも歳が近ければ、カイウォルは間違いなく、ハオリュウを遠ざけただろう。しかし、ひと回り以上も年下となれば、好奇心のほうが勝る。穏やかな見た目とは裏腹の、激しい気性の持ち主とあらば、なおのこと興味は尽きない。
実のところ、カイウォルは嘘偽りなく、ハオリュウを腹心に欲しいと思っていた。しかし、これまでに散々、ハオリュウの逆鱗に触れてきたことを顧みれば、そんな望みは叶うべくもないのである。
「心配しなくとも、君の無実が証明されれば、すぐに解放しますよ」
蠱惑の旋律を響かせ、カイウォルは緩やかに口の端を上げる。今は、メイシアが出てくるのを待つ段だと言ったのだ。
――そうはさせるか。
異母姉は、義兄の傍を離れてはならない。
ハオリュウは純心な少年の顔で首をかしげ、カイウォルの言葉尻を捕らえる。
「いったい誰が、私の無実を証明してくれるというのでしょうか?」
刹那、カイウォルの微笑が途切れた。
ハオリュウが攻勢に転じたことに、気づいたのだ。
「そうでしたね。君にしてみれば、姉君が表に出てくることは忌避すべき事態、というわけですね」
「ええ。異母姉は既に亡くなっておりますので、出てきてもらっては困るのです」
すっと踏み込んできた、カイウォルの問い。対して、答えるハオリュウは、しなやかな絹布の如くに、さらりと。
今まで、カイウォルとハオリュウは、互いにメイシアの生存を承知しながらも、素知らぬふりを通してきた。
その不文律が、たった今、破られた。